音楽のもともとのカタチが戻ってくる
2011年1月11日(火) 8:43:56
一昨日のエントリー「ボクたちはその萌芽の最初期に生きている」にもたくさんの反応をいただいた(ありがとうございました)。
あれは坂本龍一のUst生配信を聴いているときに考えていたことだった。ソウルでのコンサートのUst生配信。驚異的な高画質・高音質。約2万人が彼のコンサートを共有した。これも萌芽。この流れの先にまったく新しい未来があると感じる。
というか、もともとに戻る、とも言える。
これは「つながりによる再編成」と同じ。再編成され、人と人とのつながりという古来からあったものに戻る。
音楽って、もともとは「人と共有するもの」だった。
原初は祭りや儀式でのものだったかもしれない。その後は宴席やパーティ、そして演奏会。すべて生演奏を人と共有することが基本であった。
それがエジソンが蓄音機を発明したことで「個人の体験」が可能になり、ソニーがウォークマンを発明したことで街に持ち出せるようになった。人はイヤホンで個人的に音楽を聴く、という新しい音楽との接し方を知ることになる。そう、この接し方は、エジソンからたった130年、ウォークマンからたった30年の、ごく新しいものなのである。
それがソーシャルメディアによって、また「もともとのカタチに戻る」可能性が出てきた。
なんかソーシャルメディアって、つながりが基本単位な分、世の中を「もともとあったカタチ」に戻すところがあるよね。
2万人もの人とソーシャルメディア上で共有しながら坂本龍一を聴いた(観た)体験は、実に楽しく新鮮。これは去年の坂本龍一Ust生配信でも感じていたこと。「戦メリ、キターー!」とかツイートし合いながら聴くのは実に楽しい。家でひとりくつろいでお茶を飲んでいながら、みんなで語り合いながら一緒に生の坂本龍一を楽しめる。これは「音楽のもともとのカタチ」の進化形だ。というか、ライブがまた重要視されてきた流れにも乗っている。きっとエンタメの未来はこの辺りにあるんだと思う。
そういう意味で(どこかで読んだが)、テレビの次のカタチはグーグルTVでもアップルTVでもなく、ツイッターTVだったりフェイスブックTVだったりするのだろうと思う。「つながり」を元にした新しい共有。
去年の大晦日にもほぼ同じようなことを思った。
大晦日のロリン・マゼールが本当にすばらしかったのだ。
体験しなかった方のために簡単に説明すると、大晦日、13時から23時半まで、80歳のロリン・マゼールがベートーベンの全交響曲を指揮したのである(@東京文化会館)。そしてそれはUstreamで生配信されたのである。
クラシックの生配信はちょっと新鮮だった。なんというかクラシックって咳さえ許されないかしこまった世界。それがいきなり「オケを聴きながら(ツイッターで)わいわい話しができる」ようになった。いままでにない体験だった。実際の演奏家もたくさんツイートしていたので、なんだか解説者つきで聴いている感じ。「終楽章のテンポすげー!」とか「ティンパニーが神!」とか「いまマゼール、アクビしたよね?」とか、いつもと違う視点で楽しめた。おもしろすぎる。
つか、ボクは現在49歳半だが、交響曲をふたつも振ったらきっともう疲労困憊だ。9つの交響曲を13時から23時半まで振るってどんな体力なんだ。80歳って普通長時間立っているだけでも奇跡的。なのにあの力強い演奏たるや…。
って話がズレたが、こういう「つながりによる再編成」は本当に世界を変える気がする。これも誰かがツイートしていたが、こういう再編成が起きると「地域の代表を選挙で選んでいる」ということの概念も変わってくるかもしれない。地縁としての地域という単位から、知縁としての「つながり」という単位へ変わったら、地域の代表という概念がナンセンスになる可能性もある。いまでも比例代表とかあるけどね。
ま、それはともかく、元日にも書いたが、2011年から本当の21世紀が始まるのだと思う。
過渡期の10年を終え、今年から本当の変革が始まる。
準備はいいですか? みなさん。
