深夜の東京タワー
2005年11月18日(金) 9:05:59
夜の長い会議の途中、断れない方から「おでんが食べたい。店は考えといて」との電話。ちょうど会議も終わりそうだったのでご一緒するのはやぶさかではないが、この時期にすいているおでん屋があるわけもなく、うーむと熟考。おいしいけど今から行ける程度にすいてる店…。全然アイデアでず、こういうときの最後の手段、伊藤さんに電話して聞く(笑)。滅多に使ってはいけない手だが、仕方なし。
で、浜松町のKへ。座れたし美味しかったし大正解。蛍光灯が燦々と照る超カジュアルな店なので一瞬引くが、お酒もおでんも良く、なによりお母さんとおねえさんのホスピタリティが良い。トマトのおでんがうまかった。食べてみたかったタマネギのおでんは品切れ。次回期待。伊藤さんありがとう。
その後、東京タワーの真下にある隠れバーでボージョレーヌーボー。リリー・フランキーの本のことなど話しながら。東京タワー周辺に行くたびに、この辺って電磁波はどうなっているのだろうかとか考える私は無粋者。照明が消えた深夜の暗い東京タワーもわりと好き。墨絵みたい。
レストラン評論はしない
2005年11月17日(木) 7:22:13
勉強もあってオライリーの「What Is Web 2.0」を精読している。面白いけど難しい。英語力ねーなー…。まぁ英語力は置いといて、この論文、もちろん仕事的にも興味深いのだが、ナノメディアとしてのボクのサイトがこれからどうあるべきかを考える一助にもなっている。テクノロジーが我が手にないのが致命的ではあるが、ボクが持っているDataがどう共有されるのがヒトの役に立ち、かつ美しいのか楽しいのかをつらつら考えたり。
というか、つらつらと自分の根本を掘り下げていって「ボクは評論をしたいわけでは全くない」ということを再認識した。
ボクは評論がしたいのではなく「いいと思ったものをヒトにオススメしたがるオセッカイ」がしたいのだ。教えたがりのおせっかい。考えてみたら、さぬきうどんも沖縄もそういう態度で書いたものだった。「スゲーいいぞおいしいぞ。やってみ食べてみ」と。いい店やいい旅をヒトに教えて喜ぶ性格なのだ。んでもって「行ったけど良かったよ」というメールでももらえるとそれで満足するのだ。本や音楽や映画もそういう態度で書いている(いた)。
途中で「ジバラン」という評価サイトを主宰したおかげで、なんとなくレストランについては評論めいた書き方になっているし、一部からそう見られている部分もあるし、実際スタンスが何度かぶれた時期もあった。けど、もともとボクは「ヒトにいい店を教えるのが好きなだけ」なのであった。その根本に帰ろうと思う。レストラン評論はしない。ただ、おせっかいに徹する。今後はもうぶれないと思う。
古く趣きある店は今のうちなのかも
2005年11月16日(水) 9:27:52
昨晩は池之端の「鳥栄」。相変わらずほっこりする美味に満足。以前ほど強いインパクトを感じなかったが、しみじみうまかった。ただ、飲む前に風邪薬を飲んでいたせいか酔いが早く、二軒目の「琥珀」ではわりかし酔っていた。今朝起きたら喉腫れてるし。うまいもん食べて熱燗飲んだら風邪くらい治る、と無理矢理思い込んでいたが、やはり幻想(当たり前)。今日は静かにしていよう。
それにしても「鳥栄」は趣きがありすぎて、東京に大震災が来たら営業不能になりそうである。そういう名店は東京に山ほどある。新しくできた堅牢な店よりも、震災が来たらなくなってしまいそうな店を優先して食べに行きたいなと不謹慎なことを考えている。だって阪神大震災でなくなった店っていっぱいあるし。悲しかったし。
震災後、西宮や芦屋のお屋敷街はずいぶん様変わりした。古く趣きある建物がほとんど崩壊し、ペラペラの新建材の家ばかりになった。東京の住宅街とかもずいぶん様子が変わるだろう。下町の風景は激変するだろう。今のうちに徘徊して目に焼き付け肌に染みこませておきたいと思ったりする。ちょっと不謹慎かな。
11時間も寝た
2005年11月15日(火) 9:10:44
昨日は朝から頭痛がしていた。
もともと偏頭痛持ちなので(会社で頭痛で倒れて救急病院に運ばれて、医者に「偏頭痛とは一生のつきあいですよ」と言われた)、あぁまたか、と思って気にせずいたのだが、そのうち身体の節々も痛だるくなってきた。ちょっとゾクゾクもする。あれ?この感覚って久しぶり♪ とか♪マークなんか打ってる場合ではなく、これって風邪じゃーー!
残業も早々に家に帰り、アンプル剤飲んで、一杯だけ熱燗飲んで暖まって、21時には就寝。起きたら朝8時。うはー子供みたいに寝た。おかげでなんとなく治った気がする(どうかな?)。とりあえず会社に行ってみよう。今晩はおいしい食事の予定があるからな(仕事はどうなのだ)。
村上龍「無趣味のすすめ」
2005年11月14日(月) 8:16:43
幻冬舎から創刊された雑誌「ゲーテ」が面白かった。
スティーブ・ジョブズについて載っているので買ったのだが、村上龍の「無趣味のすすめ」という短文にずいぶん刺激された。特に次のような言葉。
現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
引退者がよく言う「趣味を探す」という言葉に常に違和感を持っていたが(趣味はわざわざ探すものではないと思うから)、もし探せたとしても、確かに趣味には「心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない」だろう。そんな晩年はイヤである。
