村上龍「無趣味のすすめ」
2005年11月14日(月) 8:16:43
幻冬舎から創刊された雑誌「ゲーテ」が面白かった。
スティーブ・ジョブズについて載っているので買ったのだが、村上龍の「無趣味のすすめ」という短文にずいぶん刺激された。特に次のような言葉。
現在まわりに溢れている「趣味」は、必ずその人が属す共同体の内部にあり、洗練されていて、極めて安全なものだ。考え方や生き方をリアルに考え直し、ときには変えてしまうというようなものではない。だから趣味の世界には、自分を脅かすものがない代わりに、人生を揺るがすような出会いも発見もない。心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない。真の達成感や充実感は、多大なコストとリスクと危機感を伴った作業の中にあり、常に失意や絶望と隣り合わせに存在している。
つまり、それらはわたしたちの「仕事」の中にしかない。
引退者がよく言う「趣味を探す」という言葉に常に違和感を持っていたが(趣味はわざわざ探すものではないと思うから)、もし探せたとしても、確かに趣味には「心を震わせ、精神をエクスパンドするような、失望も歓喜も興奮もない」だろう。そんな晩年はイヤである。
今年の初め、ボクは「○○は趣味ではなく、仕事である」と書いた紙をデスク上に貼った。この○○には家庭も執筆も読書も音楽も映画も食事もサイトも入る。それらを趣味と考えると、会社の仕事に押されて○○が出来ない時にすごくストレスが溜まったから、「いっそのことすべてを仕事と考えよう」と思ったのだった。そしたらタイムマネージメントをしっかりしだし、わりとうまく回るようになった。刺激も達成感も増大した。無意識に村上龍の「無趣味のすすめ」を実践していたのかもしれない。
仕事と趣味が合致する人生がやっぱり一番かもね。死ぬまで達成感と共にある(失望感とも)。
趣味をすべて仕事と考えてもいいし、仕事を限りなく趣味化してもいいし、趣味をどんどん仕事に取り入れてもいい。そういえば「趣味を仕事にすると大変だよー」というのもよく聞く言葉であるが、そう言っている本人は概してうれしそうである。そういうことか。
