山海塾「金柑少年」
2006年4月 2日(日) 10:34:04
桜の花は、知らなかった路地をいろいろ教えてくれる。
犬と散歩をしていて、眼の端にふっと薄桃色の雲がよぎったと思って引き返してよく見ると、いままで気がつかなかった小さな小さな路地の奥で桜が満開になっている。思わず路地を入るとよく手入れされた小体な庭があったりして、散歩しなれたいつもの道に新しい意味が加わったりする。
昨日は世田谷パブリックシアターで山海塾公演「金柑少年」。
1978年初演の古典。天児牛大は今回は踊らず、演出に徹したが、終演後の吉川洋一郎とのトークセッションで話を聞けた。
2005年にリ・クリエーションしているとはいえ、やはりどこか70年代の意味性・ハプニング性を引きずっている演目。なんだかちょっと青臭くて懐かしい。あの時代のようにひとつひとつの動作に意味を求めながら観てみたり。
続くか!?水泳 & 伊藤さんのサイト
2006年4月 1日(土) 13:13:15
年度末最終日のスリル溢れる仕事のあと、すっきり安心してプールへ。
年度末だからなのか金曜の夜だからなのかプールはがらがら。いくつかの本やいただいたメールで仕入れたポイントを頭に叩き込んでゆっくりクロールで泳ぎ始める。いつも通り25mが精一杯の泳ぎではあるが、途中からなんとなくうまく行き始め、最終的に600m(25mを24本)楽しく泳いだ。今日のポイントを忘れぬようメモしとこうっと。「なるべく遠くにエントリー」「エントリーした手のひらに重心がくるように」「キャッチアップでストリームラインに戻る」「胸を開けば空気は自然に入る」。うまく行った25mが3回くらいあった。でも自己流は怖いので一度ちゃんと習いたいな(スクールと時間が合わないのが難)。
自分が水泳をするなんて想像もしてなかったのだが、きっかけは実は吉永小百合さん。毎朝2km泳ぐとTVかなんかで聞いて以来、なんかすごくうらやましかったのだ。でもまさか自分があの嫌いな水泳を高校時代以来再開するとは思わなかったのだけど、たまたま買った本を読んでみたらなんだか急に泳いでみたくなったというわけ。
白魔道士
2006年3月31日(金) 9:13:03
娘はバルフレアを愛しているそうだ。カッコイイカッコイイを連発する。パーティ組む時もバルフレアをはずすと怒る。んー。仕方がないから育ててやるか。いえ、FF12の話なんですけど。いまゴルモア大森林でヘルハウンド相手に苦慮しているところです。
昨晩はある作家さんとふたりで。この前行って良かった中目黒のピザ屋で夜メシ。前菜とデザートと自家製リモンチェッロはとても良かったが、ピザの印象はこないだの方が上。次回を期待。でもやっぱり感じがいい店である。
その作家さんとはあるプロジェクトでこれから数年ご一緒する。というか後方支援かな。後ろからケアルダとかレイズとかヘイストとか唱えながら一緒に旅をする。メールで何度かやりとりしたもののお会いするのは昨日で二回目。気楽な関係になりそうで楽しい。ちゅうか、白魔道士って向いてるな、オレ。
とか言ってるうちにもう3月も終了。八重山ではとっくに海開き。沖縄行きたいなぁ。
日本語をもっと教えて欲しい
2006年3月30日(木) 8:21:51
どうやら花粉症っぽい。くしゃみ連発。鼻水じゅるり。アタマも痛い。ボーッとして考えがまとまらず、企画書に数時間かかってしまう。寝ながら激しいくしゃみをしたときに腰までギクリとやってしまった。ついに花粉との本格的なつきあいが始まるのか。がっくり。
小学校で英語が必修になるそうで。
英語よりも日本語をちゃんと教える時期だと思うけどなぁ。言葉は時代とともに移り変わっていくと思うのでいまの小中高生の言葉が乱れているとは一概には思わないが、そうはいっても、日本語習得の大事な時期にきちんとした日本語を習っとかないと致命的だと思う。それはたぶん敬語とか難しい漢字とかいうことよりも「日本語でちゃんと論理構築できる下地」みたいなもの。日本語も英語も中途半端にしかしゃべれない大人に育ったら社会に出てきっと困る。子供みたいな論理構築しかできない「英語がしゃべれる人」と、きちんと高度な論理構築ができる「英語がしゃべれない人」のどっちが国際人で、どっちが世界から尊敬されるだろう。
「私たちは、ある国に住むのではない。ある国語に住むのだ。祖国とは、国語だ。それ以外の何者でもない」
ブロークバック・マウンテン
2006年3月29日(水) 8:34:57
仕事が終わった後、急いで映画館へ。夜の予定がない日だったので観たかった「ブロークバック・マウンテン」。アカデミー監督賞をとったものの前評判的には作品賞も当確と言われていた映画。カウボーイの同性愛を描いた内容はもちろん、作品賞落選に抗議する新聞広告まで出たことで多分映画史に残る作品だ(そしてアジア系初の監督賞としても)。
物語は淡々と進んでいき、さして事件は起きないのに中盤から目が離せなくなる。アン・リー監督はハリウッド的な(怒りを描くときは怒りの顔を出す、みたいな)わかりやすい感情表現を避け、周辺を丹念に描き込むことで登場人物の心の動きをあぶり出す。しかも観客を飽きさせない。すごい技。
ラストの孤高の姿と決意が心を打つ。ラストのラストまで乾いていた目が最後の瞬間でドワーッと。
美しいものを見せてもらった。繰り返し観たい映画ではないが、細部に渡って相当印象に残る作品。
