文楽「豊松清十郎襲名披露公演」そして竹本住大夫の講演
2008年9月 8日(月) 7:16:23
国立劇場第164回文楽公演を観てきた。
演目は「近頃河原の達引 四条河原の段・堀川猿廻しの段」「吉田清之助改め五世豊松清十郎襲名披露口上」「襲名披露狂言 本朝廿四孝 十種香の段・奥庭狐火の段」。
昨日「闘う三味線」を見て自分の中に流れを作っていたこともあり、いままで観た中で一番ワクワクした。
ただ、見どころを浄瑠璃語りと三味線とのせめぎあいに自己設定した分、いままでで一番忙しい観劇となった。語りを聴き、三味線とのせめぎあいを聞くだけでも精一杯なのに、舞台では人形遣いたちが迫真の演技をするからそっちも観たいし、字幕も読みたいし、イヤホンガイドの解説もちゃんと聴きたいし、と、とにかく忙しいのである。
特に派手な見せ場が多い「奥庭狐火の段」は忙しかった。豊松清十郎と桐竹勘十郎が演じる、キツネが憑いた八重垣姫の動き。これがまた面白く、目は舞台に釘付けに。でも竹本津駒大夫の語りと人間国宝・鶴澤寛治の三味線も気になる。その一方で、字幕とイヤホンガイドで言葉を追わないと筋や見どころを見失うし、もう何がなにやら。眠くなっている暇がなかった。
闘う三味線
2008年9月 7日(日) 8:40:57
ずっと見忘れていたNHKのハイビジョン特集 「闘う三味線 人間国宝に挑む 文楽 一期一会の舞台」を見た。
2007年6月24日に放映されたもの。大阪のバー「パイルドライバー」で借りた。文楽三味線の第一人者、鶴澤清治(62)と浄瑠璃語りの名手、人間国宝の竹本住大夫(82)が、難曲「壇浦兜軍記 阿古屋琴責の段」を巡って激しいしのぎを繰り広げる日々を描いたドキュメンタリー。
三浦しをん著「仏果を得ず」を読んでからこれを見ると、いろいろなことがものすごくよく理解できる。もともと浄瑠璃語りと三味線は合わせて演奏していくものではなく、お互いが突っ走った上で「合っていく」もの。そのせめぎ合いが本と映像の両方で理解でき、一気に文楽の楽しさを増幅してくれる。文楽理解の超近道。鶴澤清治の自分との闘いも見事なら、竹本住大夫の自分を削る日々も見事。
というか、名人たちの懊悩と、たった一回の公演に対する念入りな準備、浄瑠璃語りと三味線の奥深い駆け引きなど、もう見ていて圧倒されることばかり。名ドキュメンタリーだ。「第24回ATP賞テレビグランプリ2007」にて総務大臣賞を受賞したというのもよくわかる。そういえば一度レクチャーを聞いたことがある竹本文字久大夫が怒られまくっていた。稽古の鬼の運の竹本住大夫も、食らいついていく竹本文字久大夫も、妙に美しい。ラッキーなことにDVD化もされているようなので、文楽とか芸に興味のある方は必見だ。
催眠術師の弟子
2008年9月 6日(土) 4:46:08
先週の日曜夜にイタリアから帰ってきて、月曜朝からいきなり休暇明けの激務に突入し、今週は仕事も多かったけど夜の予定も多く、とにかく眠い眠いとつぶやきながら日々をこなし、異様に疲れきって「やっと土曜だ! 土曜は予定が何もない! 寝られる!」と、金曜の24時に喜々としてベッドに倒れ込んだのに、あぁそれなのにそれなのに。こういう朝に限って何故4時に目が覚めるのか。何故寝続けられないのか。まさに早朝覚醒。目がパッチリ。仕方ないからこうしてマック前。
昨日は朝いちに歯医者で手術。麻酔をばんばんにきかせて歯を削った。そんでもってその1時間後にある場所で講演。麻酔に痺れた口がうまく回らなくて難儀した。広告業界の精鋭の方々を前に「基礎の基礎を確認っ」みたいな話。広告系有名ブロガーが来ているなんて知らずにヘラヘラしゃべり、後で名刺交換して冷や汗かいた。
そのまま昼ご飯も食べず打ち合わせの嵐に突入。プレッシャーのかかる仕事が多いが、あまりそこを考えすぎないように、なるべくいい加減になるよう自分に言い聞かせる。放っておくと必要以上に責任を重く考えるところがあるので、こういう性格は鬱とかになりやすいという自覚あり。楽に、楽に。
ロードショー休刊
2008年9月 5日(金) 7:01:41
中学高校と毎月必ず買っていた雑誌「ロードショー」が休刊する(09年1月号で)。
いや、少しウソついた。雑誌「スクリーン」と両方毎月買っていたのだが、途中から「スクリーン」一誌だけ買って「ロードショー」は立ち読みで済ませていた。「ロードショー」派と「スクリーン」派があって、ボクは「スクリーン」派。「スクリーン」の方が映画レビューが本格的で写真もマニアっぽかった。「ロードショー」は途中から少しミーハー系に偏っていったのでボクは離れたのだった。ま、でも、必ず毎月読んでいたのは間違いない。
「ロードショー」と「スクリーン」は表記も微妙に違っていて、たとえば、たしか「ロードショー」はオリビア・ハッセー、「スクリーン」はオリビア・ハッシーみたいな感じ(逆だったかもしれない)。
一時期、本当にむさぼるように読んでいて、次の号が出る頃にはほぼ暗記していたくらい。それが今のボクの映画知識の基礎になっている。ああいう「情報が少なかった時代」って貴重だったな。情報が少ないからむさぼるように摂取して血肉にした。今の子は情報洪水にさらされているからあんな読み方はしないだろう。
街に出ればビデオ・レンタル屋に無数に映画DVDが並んでいて手軽に観られるなんて、あの頃からは考えられないくらいシアワセなことだ。中学高校のときの「映画飢餓感」と言ったらなかったもの。名画座かテレビでしか旧作が観られない。でもいつでも何でも観られるっていうのは、その環境が普通な人にとってはフシアワセなこと。ボクたちみたいに「もう二度と観られないかもしれないから食い入るように必死に観る」なんて情熱は、今の子は持てないだろう。その分、血肉にもなりにくい。
岸勇希著「コミュニケーションをデザインするための本」
2008年9月 4日(木) 8:16:57
ボクも一応コミュニケーション・デザイナーを名乗っているのだけど、ずっと若い(20歳くらい若い)彼の方がこの分野では先達だと思っている。先達リスペクト。なにしろもうコミュニケーション・デザインが服を着て歩いているような男なのだ。日本にはまだ数人しか本当のコミュニケーション・デザイナーはいないと思うが、彼は確実にその先頭を走っている。

