カラダが悲鳴?

2009年3月27日(金) 8:36:46

昨日はあれからすぐ主治医のもとに出かけたのだが、もうダメかと思った。
なにしろ痛くて歩けない。両ふとももが常に痛い。痛い痛い痛い。玄関まではつかまり立ちで行けたが、玄関出てから途方に暮れる。数センチずつ足を前に出してヨチヨチ歩くが、口からは常に「痛い痛い痛い」と声が漏れる。痛さには強い方であるボクが声に出して痛がるのは我ながら珍しい。タクシーをつかまえ、乗ってからも運転手が心配するくらい痛がる。いやホント、筋肉なのか骨なのかわからないけど、太ももの前面が痛すぎるのだ。触っても揉んでも大丈夫。物理的な筋肉痛ではない。でも痛い。動かすと痛みが増すということもない。常に痛いのである。

ようやく病院につき(タクシーで15分くらいのところ)、主治医に診ていただいたが、彼も首をひねる。ウイルスが悪さをするにしても両太ももだけに痛みが出るなんてあまり症例がないみたい。とりあえず血液検査をしようということになり、消炎剤を一錠もらってその場で飲み、血液検査の結果が出るのを待つことに。

で、結果から言うと、治りました(笑)
消炎剤を飲んで15分くらいしたら痛みが一瞬ふくらはぎ方面に移ったあと、きれいさっぱり消えた。「消炎剤で消えたということは、やっぱり炎症があったということでしょう」と主治医。血液検査の結果も問題なし。整形外科の先生も来てくれていろいろ検査してくれたが、物理的には問題がないという。やっぱりウイルスなのかな。

なんなんだ !?

2009年3月26日(木) 8:59:51

昨晩は友人のおめでたい報告を聞き、あー良かったなぁとご機嫌に飲んだ。思ってもみなかった新しい流れにはとにかく乗ってみること。乗ってみてダメだったらそのときはそのとき。何しろおめでとうおめでとう。
昨晩はもうひとつおめでたいことがあって、先週に峠を越えた大きな仕事のひとつが「勝利」と出た。めでたいなぁ。長々悩んだ複雑な仕事ではあったけど苦労した甲斐があった。といっても受注が決まっただけで、ここからが第一歩。もっと大変になるのだけど。

おめでたいことがふたつ重なり、相当上機嫌で帰ってきたのだが(飲んだお酒も「上喜元」だった)、帰ってベッドに横になり、30分ほど経ってから急にお燗が。いや悪寒が。

とにかく寒い。寒い寒い寒い。極寒だ。ここまで寒い悪寒も初めてかも。大の男が「うおー!」とか叫ぶ寒さ。息も絶え絶え。ひーひーひー。
布団をいっぱい出してもらって重ね、マフラーをし、お湯を飲んだりもしたのだが(お湯を飲むために手を布団の外に出すことが寒くて出来ないから大変だった)、震えが止まらない。熱を測ったらすでに38℃くらいある。急上昇中。こりゃ本格的か。

野球は日本人にとって「特別」なんだ

2009年3月25日(水) 9:23:23

星飛雄馬が大リーグボール1号を初めて投げたのは1968年。
いま思えば「大リーグボール」というネーミングってすごいな。この遠い遠い憧れ感。でもそのくらい遠く大きいものだったんだなって思う。

あれから41年。日本人の野球好きは変わらない。それはちょっと異様な数の野球漫画からもわかる。特に1970年代の野球漫画の充実度はすごい。あの頃子供で、あの野球漫画ラッシュの熱波をもろに浴びた人たち(ボクも含む)は、きっと一生野球を愛して生きていく。

WBC決勝。イチローの決勝打の瞬間。いろんな野球漫画を思い出した。「巨人の星」とか「男どアホウ甲子園」とか「侍ジャイアンツ」とか「アパッチ野球軍」とか「アストロ球団」とか「ドカベン」とか「キャプテン」とか「あぶさん」とか「タッチ」とか。
あの頃、部屋の隅っこで野球漫画を夢中で読みながら憧れた、あの想いの延長線上にイチローの一打がある。岩隈の快投も松坂のMVPも原監督のタフで大人な態度も、すべてあの頃見た夢の続き。うまく言えないけど、昨日の日本代表たちはリアルに星飛雄馬であり、花形満であり、藤村甲子園であり、番場蛮であり、山田太郎であり、殿馬一人であり、谷口タカオであり、景浦安武であり、上杉達也である感じ。

原辰徳監督の言葉

2009年3月24日(火) 8:12:10

現役時代からほとんど興味がない人だったし、どちらかというとその坊ちゃん臭さがイヤだった人なのだけど、WBCでの原辰徳日本代表監督の発言は良かったなぁ。謙虚すぎとか無難すぎという声もあるかもだけど、ボクはこういう大人な発言は好き。

準決勝でアメリカに勝った後。
「米国を追い越したとは思っていないが、認められる存在になったかなとは思う」

決勝で戦う韓国に対して。
「韓国とはかなりの回数を戦うことになると予想していたが、世界の頂点で戦えることは、韓国に対し、尊敬の念を持つ。堂々と勝負したい」

ロックの学園

2009年3月23日(月) 7:50:10

「ロックの学園」に行ってきた。

2007年11月に引き続いて2回目の開催。前回の様子はBS-hiでも流れた(再放送を含めて2回も。今年は4/27~29に流れる)。
サイトを見ていただければわかるとおり、体育館を利用したライブや教室を利用したライブ、教室を利用した「ロックの授業」や展示など、まるで学園祭に遊びに来たような楽しさと手作り感に溢れていた。校長室には校長である忌野清志郎グッズの数々、中庭には屋台も並び、廊下や玄関でも随時ライブが行われていた。大人たちが真剣に企画した学園祭。大きく真剣なシャレ。真剣に遊ぶとこんなに楽しいってことの見本。素晴らしい空間。

会場は三浦半島三崎高校。廃校となったその高校の校舎や体育館、中庭などをフルに活用しての開催である。
この三崎高校、ボクたちが2004年12月に「スラムダンク一億冊感謝イベント」をやった場所である(その模様は「明日の広告」にくわしく書いた)。1年半前、主催者側の方に「確実に、あの記憶が起点のひとつとなって、この度、同じ三崎高校を会場とするロックフェスを開催することとなりました」とメールをいただいたので、スラムダンクのあのイベントの空気がどこかに漂っていると感じられたのもあながち間違ってはいない。あの奇跡の時間からの細く力強い糸が確かに繋がっている。ボクにしかわからない感覚かもしれないけど、なんだかとてもうれしかった。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。