「明日の広告」11刷です
2011年1月26日(水) 10:15:09
以前、荒川修作の講演を聴いたことがあるが、彼がこんなことを言っていた。
「ヒトは形あるものに名前をつけたが、目や手から出た力みたいなものに名前をつけず、認めない。目から力がバーッって出て壁にぶつかる。その壁に、目には見えないけど、力がちゃんと残っているんだ。それを認めない。形あるものしか認めないから死ぬんだ。身体がなくなったと同時に死ぬんだ。でも身体がなくなっても人間は死なないんだ。それがおまえらバカは誰もわからない」みたいなことを講演会で言っていた。
これって昨日まで3日かけて書いた内田樹最終講義の中の「存在しないもの」と同じことかもしれないなぁ。そういえば荒川修作も「存在しないもの」になってしまった。「存在するとは別の仕方」でボクにシグナルを送ってきてくれている。確かに荒川修作は「死んでいない」。
内田樹教授の最終講義を聴講してきた(3)
2011年1月25日(火) 7:28:03
ヴォーリズの設計思想の深い話は終わり、ここからまた違う話に入っていくのだが、ヴォーリズの話の途中でこんなエピソードを語っていたのを思い出したのでそれを書いておく(このエピソードはたとえばココでも書かれている)。
震災前に大学が財政難に苦しんで、某シンクタンク(名前は明かさなかった)にコンサルを頼んだら、「地価が高いうちに土地を売って郊外移転を考えましょう。こんな築六十年の建物なんて無価値です。維持費もかかるし、こんなものを残しておくのはお金をドブに棄てるようなものです」と言われたらしい。
内田樹教授の最終講義を聴講してきた(2)
2011年1月24日(月) 9:06:39
内田樹教授の最終講義を聴講してきた(1)
2011年1月23日(日) 12:10:50
ボクにはラッキーにも「ありがたい友人」が何人かいる。
ボクの人生にこれ以上ないタイミングでこれ以上ない貴重なお誘いやお知らせをしてくれる友人たちである。たぶんあちらはそんな意識はないだろうしボクもそのときは気づいていない。でも振り返るとそのお誘いやお知らせが実は岐路になっている。そんな友人たち。
松井孝治さんはそのうちのひとりである(友人というのも失礼だが他の単語を思いつかない)。
もともとこのサイトを通じて知り合ったのだが、ボクの「政治家に対する偏見」を根っこから改めさせてくれたのもこの方である(前官房副長官である)。彼を知ってからボクは政治を斜めに見なくなった。人が真摯かつ誠意を持って事に当たっていることを揶揄したり嘲笑したりすることはできない。ボクが真っ正面から「自分だったらどうするか」という視点で政治を見始め、当事者意識を持ち始めたのもこの方と知り合ってからである。
ま、それはいいとして、彼はいろいろ貴重なお誘いをしてくれる。今回も感謝感謝感謝であった。
自分に許したちょっとした贅沢
2011年1月22日(土) 9:38:16
2月26日27日に慶應義塾大学日吉キャンパスで開催される「ワークショップ・コレクション こどものためのワークショップ博覧会」でなにかやろう、と、昨晩は博報堂の須田和博くんとカナリアの徳田祐司くんと打ち合わせ。ここに電通の佐々木康晴くんも入って4人でやろうとしている。
ボランティアだから基本楽しむことが前提だけど、「こどもと政治を近づける」というちょっと難しいテーマに取り組んでしまっているので、企画は意外と難航。だけどなんとか少しカタチになってきた。だれか若い人でいっしょにやりたい人はいませんか? 熱意のある方募集中。
で、22時過ぎに終わり、ふたりとも次の仕事に向かったので、ボクはひとり、鮨を食べに六本木「材木町 奈可久」へ。ひとりご飯って鮨が一番気楽なんだよね。カウンター越しに話し相手もいるし。この店は深夜までやっているから重宝する。
