「明日の広告」11刷です
2011年1月26日(水) 10:15:09
以前、荒川修作の講演を聴いたことがあるが、彼がこんなことを言っていた。
「ヒトは形あるものに名前をつけたが、目や手から出た力みたいなものに名前をつけず、認めない。目から力がバーッって出て壁にぶつかる。その壁に、目には見えないけど、力がちゃんと残っているんだ。それを認めない。形あるものしか認めないから死ぬんだ。身体がなくなったと同時に死ぬんだ。でも身体がなくなっても人間は死なないんだ。それがおまえらバカは誰もわからない」みたいなことを講演会で言っていた。
これって昨日まで3日かけて書いた内田樹最終講義の中の「存在しないもの」と同じことかもしれないなぁ。そういえば荒川修作も「存在しないもの」になってしまった。「存在するとは別の仕方」でボクにシグナルを送ってきてくれている。確かに荒川修作は「死んでいない」。
3日間、異様に長い文章を書いたので、今日は短めに。

ええと、拙著「明日の広告」
が 11刷になりました。
出したのが2008年の1月。ちょうど3年前。
この激変の時代の「3年前」って、マジで10年前くらいに相当すると思うけど、みなさんのおかげもあってボクと編集者の本多いずみさんが夢見た「ロングセラー」に育ちました。ありがとうございました。
ソーシャルメディアの浸透で本格的に状況が変わりつつあり、あの本で書いたことも変化していっているのだけど、実はあそこで書いたことって「100万人ではなく100人に伝える」というところの「100人にしっかりファンになってもらうためのマーケティング」のエッセンスだったりするので、大切さは変わらないと思っています。これからもご贔屓に。
あ、それと、「100人に伝える」というところばかりがクローズアップされていろんなところで引用されているけど、本格的なソーシャルメディア時代になったら「マスメディアはふたたび強力に効くようになる」と考えてます。ちょっとアプローチを変えさえすれば。たぶん両方の(コンテクストとタイミングを考えた)組み合わせになるのだと思う。
その辺も含めて、いま「明日の広告」の次の本を書いてます。
激変最中のソーシャルメディアの本質的な部分を分析して「コミュニケーション全体の変化」を書こうとしているので、どう書いても複雑になる。どう書けばよりシンプルにわかりやすくなるのか、日々模索中です。昨日も(書き始めからもう2ヶ月以上立つのに、しかも〆切直前なのに)大きく切り口を変えようとぐじゃぐじゃやっていた(よりシンプルに整理する方法を見つけた気がした…)。
あぁ、こんなんじゃ一生脱稿できないな。どこかで割り切らないと、とはわかっているのだけど。
