内田樹教授の最終講義を聴講してきた(1)
2011年1月23日(日) 12:10:50
ボクにはラッキーにも「ありがたい友人」が何人かいる。
ボクの人生にこれ以上ないタイミングでこれ以上ない貴重なお誘いやお知らせをしてくれる友人たちである。たぶんあちらはそんな意識はないだろうしボクもそのときは気づいていない。でも振り返るとそのお誘いやお知らせが実は岐路になっている。そんな友人たち。
松井孝治さんはそのうちのひとりである(友人というのも失礼だが他の単語を思いつかない)。
もともとこのサイトを通じて知り合ったのだが、ボクの「政治家に対する偏見」を根っこから改めさせてくれたのもこの方である(前官房副長官である)。彼を知ってからボクは政治を斜めに見なくなった。人が真摯かつ誠意を持って事に当たっていることを揶揄したり嘲笑したりすることはできない。ボクが真っ正面から「自分だったらどうするか」という視点で政治を見始め、当事者意識を持ち始めたのもこの方と知り合ってからである。
ま、それはいいとして、彼はいろいろ貴重なお誘いをしてくれる。今回も感謝感謝感謝であった。
去年の12月くらいにメールで「そういえば内田先生の最終講義があります。聴講フリーです。私はちょうど地元の京都に帰っている日なので神戸まで行こうと思いますが、さとなおさんはどうしますか?」と教えてくれたのである。即座に「行く!」と答えた。
ボクは内田樹(たつる)のブログを2003年くらいから愛読している。
いまのブログと副題もレイアウトも違うころからである。こんなクオリティの高いものを毎日のようにブログに書き散らす人ってどんな人だろう、と驚嘆しながら読んでいた。一時コメント欄があったころがあり、毎日のように炎上しかけていたときはドキドキした(意識的に暴言を吐かれることが多いので)。嫌気がさしてブログを止めちゃったらどうしよう。止めないで!と祈るような気持ちで毎日読みに行っていた。
天の邪鬼気質が強いボクは、彼がベストセラー評論家になり爆発的に売れ始めてからは逆にあまり読まなくなってしまったのだが、それでも重要な記事は自然とRTとかされてあちらからやってくる(ツイッターの重要な利点「自分に有益な記事は、自分が探しに行かなくてもあちらからやってくる」)。しかもブログの内容がどんどん本になる。だから自然と読み続けてはいた。逆に言うと「本になるクオリティのものが毎日のように書かれている」のが内田樹ブログなのである。
松井さんも内田フリークで、講演にもこまめに通っていた。そのうち内田さんと一緒のご飯にボクを呼んでくれたりもした。嗚呼オレいま内田樹の隣に座ってるよ(しかもその向こうには高橋源一郎がいるよ! ふたりで村上春樹論を語っているよ!)。あの夜の夢みたいな感じはいまでも忘れられない(この日のブログ)。しかもその日の記録があの内田樹ブログにも書かれている。申し訳ない。わずかとはいえ彼の脳細胞の場所を占有してしまった(この日の内田樹ブログ)。
ま、ようするに大ファンなわけです(笑)
そりゃ即決で行くわいな。しかも「最終講義」なんて本を持っているくらい最終講義には興味がある。その人のエッセンスが表出するものが最終講義なのである。
ということで、長躯、兵庫県は門戸厄神の「神戸女学院大学」まで行ってきた。
日帰りである。執筆締切直前である。編集者には内緒である(バレバレだよw)
神戸女学院大学は、実は妻の出身校でもあり、ボク自身も近所の苦楽園・夙川・芦屋に14年住んでいたこともあり、わりと身近な存在の大学である。有名なヴォーリズの設計・建築。本当に美しい。
ウィリアム・メレル・ヴォーリズ。
メンソレータムを広めた実業家でもありキリスト教伝道者でもあり賛美歌などの作詞作曲家でもある。彼の建築で有名なのは多数あるが(Wikipedia)、その代表作のひとつが神戸女学院大学。傑作だなぁと思う。
そして、ヴォーリズの話は内田樹ブログでしょっちゅう取り上げられるのだが、今回もその最終講義1時間のうちの半分くらいはヴォーリズの話だったのではないか。そしてヴォーリズの設計思想の話から「学ぶとは何か」という根本的な部分に展開していったその話の見事なこと!
って、ここから最終講義の内容に踏み込んでいくわけだが、いい加減長いので、明日また書こうと思う。
ちゅうことで、また明日。
写真は最終講義が始まる30分前の講堂の様子である。
