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娘とふたりの被災地行

2013年4月 1日(月) 9:17:39

今日4月1日から大学生になる娘にとって、昨日は高校時代最後の日。

高校時代のうちに一度は被災地を見て感じてほしかったので、昨日、ふたりで東北に行ってきた。

ギリギリ最後の日。お互いの予定が合う日がそこしかなかった。
でも、結果的に、とても思い出に残る「区切りの日」になったかもしれない。

いままで、家で娘に対して、自分がしている震災支援活動(助けあいジャパンとか、くらしのある家プロジェクトとか)について話すことはほとんどなかった。
まぁボクのブログとかFBとかツイッターを読んでくれているみたいなので、ボクが何をしているか伝わってはいるだろうし、なにより父親の直接の言葉って、こっちがそう思ってなくても、娘にとってはどこか押しつけや説教になる。ブログとかで読んでくれるくらいがちょうどいい距離感だな、と思ってきた。この件に関しては、彼女が自ら興味を持つまでは慎重に距離を置いてきた感じ。考えを押しつける類のものではないからね。

でも、大学に入る前には現地を体験してほしいなとは思っていた。
まだまだ全然復旧も復興もしていない現地を見るだけでいい。同時代人としてあそこで何が起こったか知っておいて欲しい。それを知った上で大学での活動を広げて欲しい。だから、受験終了後、なんとなく話しているときに自然な流れで「行こうか」「行きたい」となったときはうれしかった。

で、昨日。
朝6時すぎに東京を出て、東北新幹線に乗って仙台へ。
仙台から仙石線で石巻へ。わざわざ途中が途切れている仙石線を選んだのは、野蒜地区あたりの311当時のままの様子を代行バスの中から見て欲しかったからである。被災地以外から来た人間にとって、まずはあの辺りの風景にショックを受けることから入るのがちょうどいいとボクは思っていた(案の定、彼女はとてもびっくりしたみたいだった)。

昨日ボクは「道案内」に徹した。
ただただ見て感じてもらうために。彼女の中で彼女オリジナルの感想が残ればよい。それがきっと何かのタネになり、何かの実を付ける。ボクの考えを言い過ぎると、それが変質してしまう。

石巻でレンタカーを借りて、門脇小学校へ。
カーナビが古くてバカだったので、裏山の行き止まりに案内されてしまったのだが、これがかえって良かった。まだまったく復旧も復興もしていない石巻の姿が丘上から目に飛び込んでくる(写真1)。ここで全体像を見た後、丘を降りて「がんばろう!石巻」の碑を見て、あの日のままの門脇小学校を見て(写真2)。

お互い無言。
言葉は邪魔。娘は、かつて住宅があったところでタイルや食器のかけらを見つけ、じっと見たりしていた。

女川までクルマで移動。
リアス式の入り込んだ地形だったことで津波の高さと威力が増して陸の奥まで押し寄せた女川。彼女はずっと奥まで「なんにもない状態」なのがショックな模様。地域医療センターの丘に登り、町を見渡す。

ここは原発マネーのおかげもあって復興が早いということだけど、まだ「なんにもない」。
目の前にまだビルが横倒しになっている。津波の威力で基礎から持ち上げられて倒されたビルである。あの日のまんま(写真3)。

雄勝へ。
このへんも「なんにもない」。あまりになんにもなさすぎる。2年前まで普通にあったであろう生活の跡がまるで感じられず、無個性な平地が広がる。ここまで被害がすごいとは思わなかったらしく、娘は無言。情報を知っているつもりなのと実際に体験するのとでは全然違うのを実感している模様。

この辺で雪がすごくなってきた。
そう、史上最速の桜開花地区が多い今年の春だけど、昨日に限っては激寒で、宮城は大雪。

雄勝の山を越えて大川小学校へ。
ここの悲劇についてはこのサイトに詳しい。全校児童108人の7割に当たる74人が死亡、行方不明となった場所である。

大雪の中、ふたりで手を合わせる。
写真4では校舎のまわりはわからないが、まわりは見事になにもない。なにもない平地の中にポツンと校舎だけ残っている。

大川小学校から南三陸に抜ける追分温泉のあたりの峠の急坂はうっすら雪が積もってとても危険だった。あと1時間遅かったら通れなかったかもしれない。峠を越えて南三陸に着いたのは14時30分くらい。

今日は以前も来た「福興市」があると聞いていたのだけど、残念ながら14時30分までで間に合わず。仮設住宅を商店街にしている南三陸さんさん商店街に行ってお昼ご飯を食べた。ボクは海鮮丼。彼女はいくら丼。

お互い、ポツリポツリと話し合う。
普段のことも話したけど、その合間に東北のことや被災の現状のことなんかが挟まる感じ。彼女の中ではまだまだ消化段階。これから数週間、数ヶ月かけて栄養にしていく。親として先を急がないように我慢我慢。

その後あの日のまんまの防災対策庁舎(写真5)を見て、なにもない、まだ復旧も復興も全然していない南三陸を走る。この4月から地域活性化の一環として何回か教えにくることになる志津川高校もちょこっと見学した。

国道45号を石巻方面に戻っていくと、途中で「ここまで津波浸水」みたいな表示が出てくる。すごい山の奥まで浸水している事実にショックを受ける娘。その表示板から先は普通に家がある。その手前は平地である(瓦礫を取り除いて整地してある)。

塩釜か仙台で夜ご飯を食べようかと思ったが、昼が遅かったし、翌日は大学入学式なのでそのまま帰ることにした。雪の峠を避けて石巻に戻り、レンタカーを返して電車で仙台へ(帰りは石巻線で)。そこから東北新幹線で東京へ。

東京に着いたのは21時前くらい。
東京〜石巻、往復9時間。その後もずっとクルマに乗って6時間。計15時間の被災地行。帰ったら、妻がにこやかに待っていた。

今日蒔いたタネはいったいどんな実をつけるかな。
いや、意外とタネを蒔かれたのはボク自身だったのかもしれない。ずっと見てきた「被災地という現実」を改めて娘と見て、被災地と娘というふたつのものに向きあわされて、一日中ずっといろんな考えが頭に渦巻いていた。

まずは蒔かれたタネに丁寧に水をやるところから、ゆっくりと始めよう。
ボクに残された時間は少ないけど、先を急ぐとなにかをしくじる。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター
(株)ツナグ代表。(株)4th代表。独立行政法人「国際交流基金」理事。復興庁政策参与。公益社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。東京大学大学院非常勤講師。上智大学非常勤講師。
朝日広告賞審査員。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。
現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。
本名での著書に「明日の広告」「明日のコミュニケーション」(ともにアスキー新書)。「明日のプランニング」(講談社現代新書)
“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。
花火師免許所持。
東京出身。東京在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園夙川芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao[a]satonao.com まで(←スパムメール防止のため、@を[a]にしてあります)。

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