ウェットな笑い
2011年3月11日(金) 9:51:21
数日前、澤本嘉光さんとわりと長く話をした(サシで1時間半ほど)。
彼は、広告界では知らない人はいないであろうクリエイター。クリエイター・オブ・ザ・イヤーに3回も選ばれているという奇跡の人でもある。最近でもソフトバンクの白い犬シリーズとか、東京ガスストーリーとか、誰でも知っているようなCMをたくさん作っている。
彼と話していて印象的だった言葉。
「ここ5年くらいかな、大学生とかにウケるCMがずいぶん変わっているんですよー。大学とかで講義したりしますでしょ。そのとき作ったCMを見せるんですが、昔は笑えるCMを流すとみんな満足してくれたんです。ドッとウケる。でも最近は、笑えるCMを流してもウケない。逆に泣けるものとか流すとすごい反応が返ってくるんです」
あぁ、これはボクも感じるなぁ。
大学での講義でCMやら動画やら流しても、「ここで笑ってくれるはず」というところで全然笑いが出なかったりする。逆に泣ける動画とか泣けるキャンペーンとかを紹介すると、授業後に教卓のところまでたくさんの人が来て「今日の、泣けました〜!」とか伝えてくれる。なんなんだろう。
笑いが求められていないわけではないとは思う。
でも、なんだろうな、「乾いた笑い」「IQの高い笑い」はウケてない気がする。時代が全体的に「ウェット」で感覚的な方向に行っているのかもしれない。人と人とのつながりで出来上がるソーシャルメディア上での空気もそんな感じ。ドライなものよりウェットなものの方が共感され、広まっていく確率が高い。
朝からこんなことを考えていたのは、坂上二郎さんの訃報を聞いたから。
彼の笑いは「ウェット」だ。
フリ屋の欽ちゃんがドライで暴力的な笑いで振ってくるのを、コナシ屋の二郎さんが哀愁溢れるしみじみしたウェットさで返し、こなしていく。コント55号はドライとウェットの応酬だった。
この時代、二郎さんのウェットな笑いはきっととてもウケるんだろうな。大学生とかも笑ってくれるんだろうな。とか、ちょっと思ったので書いてみた。
二郎さんについてはもっといろいろ書きたいけど、書こうとキーボードに向かっては呆然としてしまい書けない。なんか、どこから手を着けていいかわからない感じ。そのうちゆっくり書けたら書こう。
書けない気がするけど…。
