デヴィッド・ボウイの「瞬間」をボクはきっと忘れない

2016年1月12日(火) 16:23:13

IMG_0101.jpgデヴィッド・ボウイ死去のニュースが流れた昨日の夕方(実際に亡くなったのは一昨日の1/10)。

ボクは新潟の名旅館『里山十帖』にいた。
302号室のベランダで、寒さに震えながらiPhoneで写真を撮っていた(上の写真)。
そのとき、「号外」としてiPhoneにアラートが流れてきたのであった。
部屋にいた妻に教える。

「デヴィッド・ボウイが死んだらしいよ」
「・・・え?」

あー、ボクはこの「瞬間」をずっとずっと覚えているだろうなぁと思った。
この冷気。この夕暮れ。この景色。
そして妻の驚く顔。


ジョン・レノンの「瞬間」もとてもよく覚えている。

レノンが亡くなったのは1980年12月8日23時すぎ。
日本時間では12月9日の午後だった。

ボクは浪人生だった。
転勤で四日市にいた父母から離れ、横浜は保土ケ谷の祖父母の家に居候していた。

その日は塾に行かなかったのか、なぜか家にいた。
洗面所にいたボクに、ボクのビートルズ好きを知っていた叔母が、茶の間からテレビのニュース速報を教えてくれた。

「ジョン・レノンが死んだらしいわよ」
「・・・え?」

右耳から聞こえてきたその言葉。
土間から漂う愛犬五郎(柴犬)の匂い。
お茶の間のテレビに駆け寄るときの板の間から畳に変わる足の感触。
駆け込んだときの叔母の顔。

夜のNHKニュースでは、渋谷のレコード店で、先月リリースしたばかりの新譜「ダブル・ファンタジー」の最後の一枚を購入した客がインタビューされていた。

それもこれも、きっと死ぬまで覚えてるだろう。


もっと古い記憶だと、三島由紀夫の「瞬間」もよく覚えている。

レノン射殺のちょうど10年前の1970年。

ボクは9歳だ。
いわゆる三島事件(三島由紀夫が自衛隊の決起を呼びかけた後に割腹自殺した事件)のニュース速報が流れたとき、ボクは父方の祖父母の家(大森)にいた。
大人たちが急に黙った。
みんなテレビを見て黙ってる。

9歳なのに、なんだかとてもよくその「瞬間」を覚えてる。

父が「三島らがって、三島由紀夫か?」とつぶやいた。
テレビを見ると、ニュース速報のテロップに難しい漢字が並ぶ中、「三島らが・・・」という文字があった。
その文字列を鮮烈に覚えている。
三島由紀夫なんて当時知らなかったのだけど。

その後、画面はニュースに切り替わった。
祖母が寄ってきて、「なおゆきは見てはダメ」と別の部屋に連れて行かされた。
翌朝の朝刊の一面に大きな写真が掲載されており、手前の丸い塊を指さして、父が「三島由紀夫の頭だ」と言ったことも覚えてる。

人生のいろんな「瞬間」を、ヒトは特に理由なく、覚えている。
レノンや三島の「瞬間」と同じように、デヴィッド・ボウイのこの「瞬間」も、ボクはきっと忘れないだろう。

そのとき、ボクは里山十帖のベランダにいたんだ。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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