型があるから「型やぶり」がある

2011年2月12日(土) 16:31:44

昨日の記事で「内田樹の最終講義」に少し言及したあと、また3日分の文章を読み返してみた(123

で、ふと思った。
よく「創作料理」とか「アイデア料理」とかを売りにする店があって、ボクはあまりおいしいと思ったことがないのだが、その理由はきっとその料理人が「自分自身の実存をそこにねじこんで」いないからなのではないか、と。

日本料理にもフランス料理にも中国料理にもそれぞれに「型」という「決まりごと」があって、料理の基本は厳密に決められている。この料理の下ごしらえはこうやって、食材はこれとこれで、何分煮て、塩加減はこのくらい、と、(それぞれの師匠によって微妙に違うにしても)きっちり決められている部分が多い。「もっとこうした方がいいんじゃないの?」とか若い頃は生意気を思ったりもするだろうが、それは長年かけて先輩たちが洗練させてきた「型」なのだ。

当初は理不尽とさえ思えたそういう「型」に「自分自身の実存をねじこんで」いく。そこで何年も我慢して「型」に自分を合わせていく。実に狭っくるしいし窮屈だ。でも、それをしたものにだけ、眺望が開ける場所への扉が現れる。そして十数年やってようやくひとつ、その人だけの「スペシャリテ」が出来上がったりする。

「創作料理」を売りにしている店の料理人は、その「ねじこみ」をせず、「こっちの方がうまいじゃん?」とか思って安易にそっちに行った人が多いんじゃないかな。「何で誰も気づかないんだろう、オレって天才?」とか思って「決まりごと」という「型」から離れていったんじゃないかな。それは楽で気ままで自由な道だ。でも物事に一本通すべき芯が見えにくい世界でもある。だからおいしい料理にまとめあげるのは難しい。長年の批評に耐えるスペシャリテにも昇華できにくい。

基本ができている料理人がひと工夫する創作料理はおいしい。「型」をわかっている上での手抜き料理もおいしい。でも裏側にきちんと「型」が見える。それは食べているとすぐわかる。

誰かも言ってた。「型があるから『型やぶり』がある」って。
一度ちゃんと自分自身の実存を「型」にねじこんだ人は強い。これは料理人に限らず、スポーツ選手にも芸術家にもビジネスパーソンにも当てはまるよなぁ。

そういう意味で、受験も「勉強の型を学ぶ過程」だし、就活から社会人の数年間も「社会の型を学ぶ過程」だ。狭っくるしいし窮屈。でも型を知らないと破れない。眺望が開ける場所への扉も現れにくい。

「こんな時間の無駄みたいなことはしたくない」「自分はもっとこういうことがしたい」「こういうアイデアを持っている」とかいうのも大切だけど、創作料理的に世の中に出ておいしい料理を作り続けるのは並大抵ではない。

いや、だってホント、おいしくて飽きない創作料理ってマジ少ないんだから。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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