音楽環境創造とは何ぞやな半日
2011年2月11日(金) 18:27:16
東京藝術大学に「音楽環境創造科」という難しそうな学科がある。
去年一緒に仕事をしてとてもお世話になった方(クライアントではない)の娘さんがそこに通っていて、パンフを作るときに少しだけアドバイスした縁もあって、今日から3日間おこなわれている「卒業制作・論文/修士論文発表会」というのに行ってきた(発表会公式サイト)。
こういう「何をやるのか全く知らない新しい世界」というのがボクは好きである。
そういうのに触れるとボクの中でシナジー効果が発生する気がするし、とにかく新しいことに触れておくことで少なくとも脳は活性化される。音楽環境創造科ってわけわからない。自分的にはそこが魅力。今日は他のお誘いもあったし、大雪だったし、執筆も佳境なのだが、好奇心に押されてちょいと北千住のキャンパスまで出かけてきた。
北千住駅から歩いて5分くらい。小さなキャンパスであるがまだ新しく、聞けば学生は一学年20名くらいしかいない。そう考えるととても広々しているし実にいい環境だ。うらやましいなぁ。
どんな展示になっているのか興味津々だったが、音響スタジオや演習室を「場」としてのサウンドインスタレーションや、上演時間を決めた音響作品やアニメーション(作曲&サウンドデザイン)、そして論文の展示(!)などがあった。なるほど。こういう作品作りはこういうところで行われているのか。
2時間ほどいた中で体験できたのは、「村上史郎《夏蒐山の音楽》」(祭りの音や虫の声、弦楽器の音などのフィールド録音で空間をリデザインしたサウンドインスタレーション)、「安川みか《juxtaposition》」(人間の歌声とVOCALOIDの機械歌声を組み合わせた音響作品)、「日下真平《組曲『惑星』より 火声 -戦争をもたらす者-》」(制作者自身の声によるアカペラ多重録音で構成されたホルストの「惑星」)、「羽深由理(作曲)/宮澤詩織(サウンドデザイン)《ちいさな灯り》」(絵本アニメーションのための5.1chサラウンド作品)、「玉井祥子《細墨生成図》」(肉眼の可視範囲内における極限に微細小な図描画)、「下西奏《地域コミュニティにおける「公」と「私」を探る音楽表現の需要とその可能性 -団地での音楽プロジェクトを事例に-》」(音楽は考えの異なる人が集う公共空間を創出できるかについての考察)。
どれもなかなか魅力的で印象深かった。
音場設計がきっちり考えられているのは多かったが、オーディオマニアとしてはもう少し音の出し方(箱鳴りするスピーカーでいいのかも含めて)も考えて欲しかったかなぁ、とか、もうひと突っ込み「新しいものへのチャレンジ」が欲しいなぁ、とか、いろいろ思うこともあったが、大半が学部生の作品ということを考えると完成度は高かった気がする。
サウンドインスタレーションは特に好きな分野なので気持ちよかったし、「惑星」の手法はこの方向でもっと新しさが出たらハリウッドにも売り込める気がした。アニメの「ちいさな灯り」は、まずアニメの完成度が高くて素晴らしい。ちょっと「話の話」的。そこに音楽が(補完ではなく)気持ちよく屹立して世界観を広げている(特に一話目が好き)。
途中からなんとなく内田樹先生の最終講義の「ヴォーリズの音響設計」の話を思い出しながら展示を見ていた。
照明設計の専門家がいるように、音響設計の専門家ってこういうところからもっと生まれてくるといいな。はかない虫の声とかをこんなに愛せる日本人が、公共の音についてあんなに無神経なのはやっぱり解せない。「音」に対する意識がもっともっと上がるといいと思う。そういうのってじわじわ変わるものではなく、なにか一発の強烈な環境芸術作品で変わったりすることもあると思う。がんばってほしいです。
