勤労感謝の日はもともと新嘗祭

2010年11月23日(火) 18:41:18

昨日のイベントは大成功でした。
来ていただいた方、どうもありがとうございました。

考えたら昨日は昼ご飯を食べる時間がなくて昼飯抜き、しかもトークショーのモデレーターで緊張し、超空きっ腹&大疲弊の中、夜9時すぎからのスタッフ打ち上げですごい勢いでワインを飲んでしまってかなり酔っぱらったのでした。今日は珍しく朝9時まで熟睡した上に二日酔い。この時間になってもまだカラダがダルい。

ということでしんどいので、イベントのご報告は後日(たぶん明日)にして、今日はこのくらいにします。

ちなみに、facebookで知ったけど(須田くんのノート)、今日、勤労感謝の日はもともと新嘗祭だったんだね。そういえばそう習った気がするけど、すっかり忘れていたよ。以下 Wikipediaから。

農業国家である日本は、古くから神々に五穀の収穫を祝う風習があった。また、その年の収穫物は国家としてもそれからの一年を養う大切な蓄えとなることから、収穫物に感謝する大事な行事として飛鳥時代の皇極天皇の時代に始まった新嘗祭(にいなめさい、しんじょうさい)の日が第二次世界大戦後のGHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められたものが「勤労感謝の日」である。

新嘗祭は1872年(明治4年)までは旧暦11月の2回目の卯の日に行われていた。1873年に太陽暦(グレゴリオ暦)が導入されたが、そのままでは新嘗祭が翌年1月になって都合が悪いということで、新暦11月の2回目の卯の日に行うこととした。それが1873年では11月23日だった。しかし、翌1874年からは11月23日に固定して行われるようになった。11月23日という日付自体に深い意味はなく、たまたま日本が太陽暦を導入した年(1873年)の11月の2回目の卯の日が11月23日だっただけのことである。

なるほど…。
新嘗祭は、天皇陛下がその年の新穀(新米)を宮中で神殿に供えて感謝するとともにご自身で食されるという儀式。国内の神社もこれに習い、民間でもとても重要な祭事だったという。占領軍にとっては「危険思想に通じるもの」だったのかもしれない。だから「GHQの占領政策によって天皇行事・国事行為から切り離される形で改められた」わけですね。

まぁボクにとっての勤労感謝の日は「毎日毎晩、酷使に耐えてくれているカラダ、特に胃袋と肝臓」への感謝の日だなぁ。いつもお役目、お疲れ様です!

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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