佐藤雅彦“これも自分と認めざるをえない”展
2010年8月22日(日) 19:28:24
昨日は紬山荘を昼過ぎに出て(出発前に1階の囲炉裏端でゴロゴロゴロゴロしつつダラダラダラダラ話しをしたのが極楽極上の時間だった)、小淵沢からスーパーあずさに乗って新宿へ。
電車の中で友人(山荘のオーナー)が「ツイッターを教えてくれ」というので、友人の iPhone からアクセスを試みるも、なんと iTunes の登録し直しから、というスタートライン。クレジットカードを登録してなんとかアプリをダウンロードしたはいいものの、以前友人に設定してあげたツイッター・アカウントのパスワードを友人が思い出せないという情けなさ。「誕生日は? ネコの名前は? 電話番号は?」とか入力してみるもまったくダメ。考えつく限り数十回のパスワード試行をしているうちに終点の新宿到着。ダメじゃん。
そして電車を降りた時点でその友人が切符をなくしたことが判明。
ポケットを探してもカバンを探しても出てこないので「席かも」と電車に戻ろうとしたら、降りた電車は回送で彼が乗った瞬間にドアが締まって車庫へ向かおうとした。焦った彼は降りようとしてドアに挟まれ必死に脱出しようとするも、車掌は回送車に人が乗り込もうとするなんて思わないから遠慮せず思いっきりドア締めているので彼も挟まれたまま脱出できない。ボクたち同行者3人はといえば、友人の災難に焦りながらもホームで笑い転げるしかない。ギャハハハッ。
まぁ結果的に無事に脱出したわけなのだが、山荘のオーナーである彼はそういう面をあまり見せないタイプ。だからこそ面白い。友人も含めて4人とも笑いが止まらない。あー笑った笑った。泣くほど笑った。
というお笑いの結末がありつつも、本当に楽しい一泊旅行だった。こういう時間が圧倒的に足りないな、と日常生活を思い起こす。何かが根本的に間違っている。まだやり直しがきく。やり直そう。
夜はブルーノートで矢野顕子のライブを見る予定だったので(去年見て異様に良かったものの今年版)、それまで時間をつぶそうと六本木にひとりで向かい、「21-21 DESIGN SIGHT」で「佐藤雅彦ディレクション “これも自分と認めざるをえない”展」を見た。
受付で「土日は混雑しておりまして、作品によっては1時間ほどお待ちいただくことがあります」と言われたが、まぁとりあえず見よう、と入った。インタラクティブな映像作品やインスタレーション作品、最新テクノロジーを使った作品、と、バラエティに富んでいて面白い。展示物は多くないのだが、ひとつひとつを体験しているとあっと言う間に時間が経つ。
11月頭まで続く展示なのでネタバレはできないが、「本展覧会の特徴」として上げられている3つの特徴「1.注文の多い展覧会である。2.見終わった数日後、たくさんの疑問が醸成されている。3.人間の未来の可能性と危険性の両面を示している」の中の2番目をいま感じている。見た(体験した)瞬間は「はぁ…」で終わる。「こんなもんかな」という部分もある。でも1日経ってふと無意識に反芻し、感じ直している自分がいる。
ネタバレしないように慎重に書くなら、見た時点では「はぁ」だった「金魚が先か、自分が先か」の反芻回数が多い。この作品の中に入った瞬間に自分の心がどういう順番で動いたか。そのことを、見終わってから、家に帰ってから、寝て起きてから、と、何度か反芻し、自分とは何かを考えなおす。この過程すべてが「作品」だ。おもしろい。
他にも「自分とは何か」を反芻しなおす作品が多く、芸術の「異化する」側面が好きなボクとしてはまぁ満足。
ただ、スペース的に仕方ないのだが、作品同士が間隔なく並んでいるので、ひとつの体験を消化し昇華する時間と距離がない。せっかくの体験を振り返る物理的な距離があったらもっといっぱい考えたかも。でも「考えさせる空間」としては秀逸だった。佐藤雅彦が持っている視点ってボクにとってはすでに畏怖の対象だ。ちょっと怖いや。
2時間ほど中にいただろうか。
ぶつぶつ考えながら建物を出て、矢野顕子ライブを見る仲間と待ち合わせている「材木町 奈可久」へ。
そこでおいしい鮨を食べ、20時45分からの回、今回のツアー「AKIKO YANO TRIO featuring WILL LEE & CHRIS PARKER」のラスト・パフォーマンスを見るためにブルーノートへ。
あっこちゃんのことは明日書きます。
