駿台の恩師たちの思い出

2010年7月21日(水) 8:26:34

数日前に高校の同窓会の話を書いたが、高校の恩師たちに30年ぶりにお会いして、駿台の恩師たちを遠く思い出した。元気かなぁ。あれからどんな人生を送ったのかなぁ。

駿台(すんだい)というのは予備校の名前で、正式には駿台予備学校だったかな。たしかボクが通っていた頃に駿台高等予備校から駿台予備学校に名称が変わった気がする。当時は代ゼミ(代々木ゼミナール)と双璧なる存在だった。河合塾もまだ東京に進出してきたばかりだったし、他の予備校はまだそんなに大きな存在ではなかったし。

浪人時代に1年お世話になったが、いまだに忘れがたい先生方がいる。
浪人生って「必死!」だから授業を実によく聞く。先生達もやり甲斐あっただろうし、生徒達にも先生の印象は強く残る。

駿台では先生を「師」と呼ぶ習わしがあるが、それに則ると、英語の奥井師、伊藤師、筒井師、浜名師、日本史の安藤師、世界史の大岡師、数学の根岸師、中田師、野澤師、長岡師、現国の藤田師、古文の桑原師、関谷師など、想い出に残る先生は駿台にいっぱいいた(そのうち、いくつかはコラムにしている。これとかこれ

後にも先にも授業で感動して涙ぐんだりしたのは駿台時代だけである。
たった1時間とかの授業で、しかもテーマが英文解釈とか数学とか現国で聴衆を泣かすってすごい技だ。でも聴衆の必死さや切迫感に刺激されて、先生もどんどん熱を帯びるんだろうと思う。特に奥井潔師はすごかった。何度泣かされたことか。いま検索したらWikipediaにも載っていた。共感したので引用。

1954年から半世紀近くにわたって駿台で教鞭をとり続けた。文学的な文章の読解を得意としており、その講義はしばしば受験用の英文解釈の域を超えて、人生論・道徳論などに及び、多感な年齢の受験生への啓蒙的役割を果たした。駿台で授業を受けた四方田犬彦によれば、「旧制高校の教授はかくありや」という雰囲気だったという。
黒板への板書が芸術的な先生も何人もいた。特に数学の根岸師。いまならデジカメで撮ってツイッターに毎回上げちゃうと思う。惚れ惚れするような板書だった。

彼ら恩師たちが書いたいくつかの参考書はいまでも本棚のいい場所に並んでいる。特に伊藤和夫の「英文解釈教室」。いまだに座右の書。参考書以外にもある。英語の筒井師が訳した「ガープの世界」は、内容的にも大フェイバリットだが、背表紙見るたびに「あぁ筒井師の…」と駿台の授業のことも思い出す。

浪人時代、ボクは大病を患い、全部の授業には出られなかった。
でも、その分、必死に授業を聴いた。得難い経験だ。「あの必死さでいま何かにぶつかれれば何もできないことはないだろう」と、とりあえず自分に言ってみる。どうなんだ自分。もう少しなんとかならんか。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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