ふと気がつくと、昨日と同じような一日を送っている。
昨日と同じように会社に通い、昨日と同じようにテレビを見、昨日と同じようにビールをグビる。
生活のためとはいえ、そんな毎日を送って老いぼれてくのはゴメン、だよね?

同じ顔した毎日に、ほんの小さな無理ない刺激。

機械的な毎日に人生を牛耳られないために。「オサニチ」。連載中。

 


第27回「オサニチ的胸にチクチクくる言葉(その15)」(2004年06月)


出勤前に犬と速歩散歩をすることが習慣になった。
犬は喜び、体重は5kg減り、血液検査の数値は改善された。なによりいろんな思索に浸れるようになった。
そしてこんな言葉を思い出した。

 

とにかく歩いてください。歩くことは考えることです。

 

これはボクが浪人時代(1980年ころ)に通っていた駿台予備校の世界史の大岡師(駿台では先生は師と呼ぶ習わしがある)が最終授業で言った言葉である。「大学に入ったら是非ともしてほしいことがあります」と彼は言い、なんだろうとみんなが身を乗り出した次の瞬間、こう続けたのである。

駿台には名物講師というのが何人もいて、その授業は立ち見で溢れる(つまりその授業を取れなかったヒトたちが勝手に聞きに来るわけですね)。 立ち見すらできず、廊下の窓からテープレコーダーを持つ手を伸ばして授業を録音するヒトまでたくさんいる始末。
生徒は文字通り一言一句集中して授業を聞く。先生たちもそれに応えるべく予備校を超えた、いや大学の授業レベルも超えた非常に濃い授業をする。
こんな真剣勝負な授業は高校でも大学でも行われていない。駿台の講師たちは「生徒が一言も漏らさず集中して聞いてくれる」というそのやり甲斐をもってして、大学教授の口を断ったりしていた。そのくらい熱気に溢れる授業だったわけである。

英語の奥井師、伊藤師、筒井師、日本史の安藤師、数学の根岸師、中田師、野澤師、長岡師、古文の桑原師など、想い出に残る先生は駿台にいっぱいいた。
後にも先にも授業で感動して涙ぐんだりしたのは駿台時代だけである。そしてその中でも世界史の大岡師の評判は高かった。ボクは日本史受験だったので世界史の授業は取ってなかったのだが、あまりの評判の高さにわざわざ立ち見しに行ったものである。

その授業は機関銃トークの強烈なもので、世界史で受験しないボクにはちんぷんかんぷん。
要所に人生論とかはさんで泣かせるようなこともなく、とにかく世界の歴史の諸相を驚異的な構成力と読書量で話して話して話しまくる。
板書もあまりせず膨大な知識をどかどか出して生徒を圧倒していく感じ。
受験用の「勉強」ではなくて「学問」そのものの奥深さを体感させてくれる意味で感動的な授業だったようだが、世界史門外漢にはさっぱりわからん。数回立ち見しただけでその後はあまり覗かなくなった。

大学受験本番直前、次々と名物講師たちの最終授業がおこなわれた。
淡々と終わる先生もいれば、明るく厳しく未来を語って生徒を奮い立たせる先生もいる。生徒たちを号泣させた強者までいた。大岡師の最終授業はどんなだろう。ボクは久しぶりに彼の授業を立ち見に行ったのである。もしかしたら自分を奮い立たせる話でもしてくれるかもしれない、とか期待して。

期待に反してというか期待通りというか、大岡師は最後の1分まで機関銃トークで歴史を語り続けた。
だが、最後の最後で、珍しく少しだけ間をおいて、静かに冒頭の言葉を話したのである。歴史以外のトークをほとんど聞いたことなかったこともあって、とても強く印象に残るとともに、なんとなく拍子抜けもした。

歩く? 歩くことが考えること? んー、なんかもっと深遠な言葉を言って欲しかったなぁ…。

でも、その言葉がいかに深く、いかに真理をついているか、40歳を越えてようやく認識できたボクである。

大学、そして社会人とどんどん歩くことをやめていく我々。
電車やクルマ、電話やTVなどの便利な物どもに毒されて、どんどん刹那的になっていく我々。
それは深く考えることをやめる過程でもある。そして人生は表層的に薄っぺらく過ぎ去っていく。ちょっと犬の散歩してるくらいで偉そうに言うなって感じだが我慢してくれ。ボクなりにやっとわかったのだ。歩くことは考えること。一見非効率的に見えて、実は大切なことを見逃さない過程であること。大事なことをじっくり考える時間であること。そう、その通り。

 

大学に入ったあと、新聞に「大学生が歩いて日本縦断」みたいな記事を見つけたことがある。
その大学生はインタビューに答えて、「予備校の先生が『大学に入ったらとにかく歩きなさい』と言った。それで歩いている」と語っていた。
読んですぐわかった。
大岡師のことだ。
でもインタビュアーはこいつ馬鹿かと思っただろう。ボクも「あ、大岡師の言葉を律儀に守っているヒマ人がいる」とその時は思った。

いまは違う。キミの方が20年も早く深い人生に踏み入っている。
というか、20年程度の遅れでよかった。
歩こう。
ただ歩こう。
残りの人生、とにかく歩こう。歩いて自分と向き合おう。そして深く考えよう。

考えずに過ぎ去る人生など、きっと何の意味もないのだから。






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