相撲のタニマチだったころ

2010年7月 9日(金) 8:56:21

相撲の野球賭博問題がいろいろ取り上げられている昨今だが、ボクは相撲のタニマチだった時期がある。

神戸は苦楽園の「THE BARNS」のマスターに誘われて、湊部屋(元小結豊山が親方をやっていた)という小さな部屋の後援会に数年間入っていた。会費は年3万円だったか5万円だったか。タニマチと称するには厚かましいような金額だが、まぁそれでもタニマチ気分は味わえたのである。

大阪場所があると、場所前に数回、朝6時から朝稽古を見学に行き、稽古後ちゃんこを親方と一緒に食べたりした。
テーブルには丼がふたつ並ぶ。ひとつでちゃんこを食べ、もうひとつでビールを飲むのである(丼ビール)。後ろには稽古後の見習い力士が土だらけのままビールを抱えて待機しており、誰かが丼ビールを少し飲むと「ごっちゃんです!」と継ぎ足してくれる。ほんのちょっと減るだけですかさず「ごっちゃんです!」。ワンコそば状態(笑)。あっと言う間に酔わされる。なぜだか丼でビールを飲むと酔いが早いのである。というか、まだ朝8時だし!

食べた後は座敷に寝転んで、だらだらと遊ぶ。雑談する。座敷の隅では若手力士たちが雑魚寝している。
楽しかったなぁ。ブログもツイッターも、デジカメすらなかったころのこと。だからちゃんとした記録に残してないが、なんだかとても幸せな時間だったことをよく覚えている。あのフィルム写真、どこにあるだろうか。

当時、藤島部屋、そして貴闘力が全盛期だった。
彼(貴闘力 改め 元・大嶽親方)は今回、相撲協会を解雇されてしまった。貴闘力の辛そうな顔をメディアで見るたびに、申し訳ないけど、逆に当時の幸せな時間を思い出してしまう。貴闘力、好きだったなぁ…。

相撲では練習と言わず稽古と言う。試合とかゲームとか言わず、興行とか巡業とか言う。つまりスポーツとは別物だし、日本人の「和」や「なぁなぁ」を体現した芸能だったと思うのだが、まぁそれはそれ、時代の趨勢なのだろう。

大きい人がゆっさゆっさと闘う相撲には、どこかユーモラスでのんびりした空気が漂っていてほしいと思う。
いや、決して闇社会とのつながりや賭博を肯定するわけではないですよ。決して。 ただ、歌舞伎と同じ地平での「伝統芸能」として、古い体質をいい意味で残してくれてもいいかなぁとはちょっと思う。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

アーカイブ

同カテゴリーの他記事