十文字美信 写真展「FACES」
2009年10月 3日(土) 15:21:52
昨日の昼休み、日本橋のギャラリー・ショウでやっている十文字美信の写真展「FACES」を覗いてきた。
この日に稲越功一さんの写真展に行ったことを書いたら、ある方からメールをいただき、「十文字さんの写真展も是非」とお勧めいただいたからである。10月10日までの展示。
十文字さんの写真集は「ポケットに仏像」と「IL BALSAMICO
」しか持っていないが、広告界では超大御所。いろんな傑作を残している方である(お仕事はご一緒したことない)。有名な「首なし」の実物も展示されているということで、わりといそいそと。
ギャラリー・ショウは思ったより小さなスペース。
入り口に十文字さんの言葉が掲出してある。
人体のあらゆる部位の中で、顔だけは特別な存在だ。壁に刺さっている3個の画鋲を見ただけで、ある種の顔を連想してしまう。粗野な網点印刷からでも、顔の個体的な特長を読み取ることができる。誰と誰が似ているなんてすぐに想像できる。脳の内部には、顔だけに反応する特別な細胞野が存在するのではと思わされるほどだ。展示はわりと衝撃的な写真から始まる。
このところ、僕はずっと顔の写真を撮りたいと思い続けてきた。どんな顔写真に興味があるかというと、まず「決定的瞬間」から自由であり、ドラマティックな表情よりもっと大切なものがあると思わせる写真、そして何よりも心惹かれるのは、撮ってみなければ結果がわからない、論理的に計算できるものをはるかに凌駕する顔の写真だ。
現在ただいまのこのリアリズム、新しい必然に立ち会いたいと願っている。
一見合成写真のような女性の顔の写真。表情が重ね撮りしてあって目が6つもあったりする。コンピューターを使わず、特殊な撮影方法で30分から1時間もかけて撮ったものだそうだが、現像するまでどんな作品になるのか本人さえも分からなかったとか。どう伝えればいいかな、ちょっとピカソの「泣く女」とか「ひじかけ椅子に座る女」っぽい印象なのだが、写真ならではの表現に昇華されている。ありそうでなかった写真。しばらく見入った。
次に有名な「首なし」。首から下の全身を写した写真。本でしか見たことがなかったが、実物が見れてうれしい。そして最後に自画像など。これがまたなんというか…。最後に自画像がこう来るか、と。
隅っこに写真集が置いてあったので見てみたが、若いときから老年になるまでの経過はどこか稲越さんに似たものを感じさせる。歳をとられてからは、日本的なもの、自然的なものにどんどん傾斜していっている。でも、そういう過程を経て、また今、敢えて、こういう「写真ならではの新しい表現」「論理的に計算できるものを凌駕した顔の写真」に挑戦していること自体が一番おもしろかった。その変化過程の心理を知りたい。
写真集を丹念に見ているうちに欲しくなってしまったので二冊購入。「感性のバケモノになりたい」と「十文字美信の仕事と周辺
」。
その後、それを持って近くの鮨屋「日本橋 吉野鮨本店」へ。ランチだと大将がつけ台に立っているからね。安価な握りとしてはやはり東京トップクラスのバランス度。おいしい。鮨を食べながら膝元で写真集を開いて見てた。
ちょうどこの日、十文字さんがEOS 7Dで撮影した「おわら風の盆」の動画も公開された模様。さっきゆっくり見た。実に美しいな。美しいものはいいな。
