カルビーのポテトチップス原爆忌
2009年8月 7日(金) 8:42:35
昨日は広島原爆の日。朝刊で見つけたこの句を何度も反芻した日だった。
カルビーのポテトチップス原爆忌 中田美子
毎日新聞の隅に載っていた中田美子の句(句集「惑星」より)。
カルビーのポテトチップスに、もしくはそれを食べている自分に平和を象徴させ、原爆忌と同居させたものすごさ。まるで現代アートのインスタレーションのように、人の心に異物を放り込む。
いろんな解釈が可能だろう。テレビで中継される原爆式典を見ながらぼんやりポテトチップスを食べる自分、という風景に平和の実感を乗っけたとも思えるし、広島出身のメーカー(カルビーは元々広島のメーカーである)の商品と原爆を対比させて今の平和を浮かび上がらせたとも思える。もしかしたらポテトチップスの薄さと壊れやすさに原爆体験を風化させつつある現代の繁栄&平和の薄っぺらさを重ね合わせたのかもしれない。いや、現代日本の商業的繁栄が寄って立つ地点をきちんと示したのかもとも思える。読む人にいろんな思いを想起させる句だ。
ボクがこの句を読んですぅっと頭に浮かんだイメージは、8月6日の無人の茶の間。古めのブラウン管テレビはつけっぱなしで、そこから「カルビーのポテトチップス♪」というTVCMのサウンドロゴが無人の茶の間に流れてくる。ちゃぶ台にハエよけの網。座布団と朝刊とすり切れた畳。縁側の外は強い夏の日差し。うるさいくらいの蝉の声がなぜか遠くに客観的に聞こえている。なぜかそんな風景が頭に浮かんだ。
きっと頭で考えた解釈なんていらなくて、こういうイメージを各人それぞれがバラバラに持つだけでこの句は完成されているのだろう。優れたアートとはそういうものだ。俳句って過激なものなんだなぁとちょっと見直した。
