ドゥダメルの余韻

2008年12月24日(水) 8:38:25

高知行きが間に挟まったが、相変わらずドゥダメルの余韻が長く、いまだ陶酔状態にいる。

クラシックは中学生のときから地道に聴いてきた分野なのだが、彼のライブを聴いて「クラシック全体への見方」が少し変わってしまった。浸っているのはその余韻かもしれない。

ここで「なにか『古いもの』が自分の中で壊れた」と書いたが、たった一度(正確には2回の公演)の経験でここまで大きく見方が変わるとは思わなかった。
当然「いったい何が壊れて何が変わったんだ?」と聞かれると思うが、実はまだ自分の中でまとまっていない。ただ、クラシックという分野がドゥダメル以前と以後では違って見えているという事実を知っているのみ。

んー、敢えて「感じ」を表現するなら、「オーケストラとビッグバンドの境目がなくなった」感覚。
いや、こう書いてしまうとライブのノリやスウィング感のみを指しているように思われちゃうな。そうじゃなくて、オーケストラ→ビッグバンド→トリオ→ジャズボーカル→ポップス→J-pop→歌謡曲→演歌、と、全部つながって見えてきた感じ。いま、チャイコフスキー交響曲5番と津軽海峡冬景色が同じ地平に見えている。なんじゃこりゃー。ちょっとビックリ。

たぶんいままでクラシックだけ違う場所にあったんですね、ボクの中で。
でもドゥダメルの構成力と表現力で、作曲者のイイタイコトというか「体温」みたいなものが明確に伝わってきた。「あぁこのプロダクト(曲)の向こう側にちゃんと生身の人間がいるんだ」と肌感覚で理解できた。その瞬間に、ジャズとかポップスとか歌謡曲とかの他の音楽分野とスパッとつながった感じ。もう少し延長すると、バレエや絵画や建築や映画や小説などの分野とも。
もちろん表現分野として、クラシックと絵画や小説の近しさは(頭では)わかっていたけど、それが肌感覚でつながったのは実は初めて。

そして。指揮者は「その人(作曲者)の良さを引き出して伝えるプロデューサーに近いんだ」という感覚も初めて持った。いままで「作曲者のイイタイコトを理解して(時にはそこに自分の解釈も織り込んで)的確&豊かに伝える役目」とだけ考えていた部分があったが、それだけではない、とドゥダメルを聴いてようやくわかった。引っ込み思案な彼らの良さを最大限に引き出して観客にプレゼンテーションするんだな。

いままでぼんやり理解していたことがサッとクリアになる瞬間。この知的興奮には浸らざるを得ない。しばらくとっぷり浸っていたい。あぁ極楽極楽。

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