高潔という言葉が似合う日本人
2008年9月24日(水) 7:45:24
「ボクは王貞治のホームランをこの目で見たことがある」というのは、そのうち「私はベーブ・ルースのホームランをこの目で見たことがある」というのに近いくらいレアなことになるのだろうな。
あれは小学校3年のことなので、38年前(笑) 永遠みたいに遠い。
夏休みに、今は亡き後楽園球場の1塁側スタンドで見た。
「たまがほそながくみえました」と夏休みの作文に書いて○をもらった。王貞治の打球があまりに速く、球が細長く伸びて感じられた、ということ。作文で褒められた初体験。なぜかとてもよく覚えている。
その王貞治が今シーズン限りでユニフォームを脱ぐ。
現役引退のときよりは感慨深くないけれど、数少ない「高潔という言葉が似合う日本人」が日本の前線からひとり消えてしまうボディブローは意外と大きい。高潔なんてそのうち死語になるのかもしれない。
敵と戦う時間は短い。自分との戦いこそが明暗を分ける。
彼の言葉。
スゴイ人たちが裏側でどれだけ努力しているか、最近身に染みて感じることが多い。昨日引退した朝原宣治も同じ。努力の仕方はボクも少しわかってきた気がするが、まだまだ彼らの域までは遠い。遠すぎる。「遠いなぁ…」と溜息つかせてくれる人がこうしてどんどん減っていく。
