見ていられない
2008年1月28日(月) 7:59:22
昨日の大阪国際女子マラソン、30キロ付近まで独走していた福士加代子の失速は見ていられなかった。というか、見なかった。後続に追いつかれそうな雰囲気になった時点でツマと顔を見合わせ「テレビ消そうか」「うん、消そう」と。
うちでは、わりとこういうことが多い。
正月の箱根駅伝もそうだった。往路の順天堂とか、怖くて可愛そうで不憫で見ていられなかった。がんばっているんだから見届けてあげないと、と思いつつ、でも、見ていられない。年末のフィギュアも見ていられなかった。下手するとサッカーとかも途中で消したりする。
若いときは「ダメじゃんコイツ」と見捨てたり、「もっと練習しないからだよ」とか毒づいたりした。
自分のことは棚に上げて何でも強気に話せたのだ。でも、40代中盤くらいから(って、つい最近だが)そういうことが言えなくなってきた。裏でのがんばりや悩みや逡巡や夢やトキメキが読めてしまうからだ。目に見えないところに大切なものがあると肌感覚でわかってしまったからだ。もしくは相手の身になりすぎてしまうようになった。それだけいろんな経験を積んだとも言える。歳をとった、とも言える。
というか、スポーツだけでなく、物語でも見ていられなくなってきているな。
北方謙三の「水滸伝」も、楊志が死んだあたりでヤバくなり、文庫本9巻あたりからもう先が読めなくなってきている。もう誰にも死んで欲しくないのだ。死ぬのを見るくらいなら読むのをやめたい(笑)
んなこと思っていたつい先ほど、「ちりとてちん」がヤバくなった。
え〜! えぇ〜〜! 死んじゃうの〜? うぅ。見たくない。見るのやめるか…。
