亡くなった人たち

2007年9月16日(日) 18:38:14

おとといだったかな。土居甫氏が亡くなった。
言わずと知れたピンクレディの振付師。阿久悠に続いてピンクレディ関係者である。桜田淳子の振付もしていて、「笑っていいとも!」の「テレフォンショッキング」の第2回ゲストという名誉も持っているのは有名な話(第1回はタモリがファンである桜田淳子)。それももう25年前のことである。すごいな。

ちなみに、もともと「テレフォンショッキング」つうのは、タモリが伊藤つかさのファンで、お知り合いになりたくて始まったもの。友達の輪を広げていくうちにいつか彼女に辿り着くだろうという魂胆。数年後に伊藤つかさに辿り着いたときのお祭り騒ぎは今でも覚えている。

ま、そんなトリビアはいいとして。
書かなかったが、パバロッティもベルイマンもアントニオーニも相次いで亡くなった。ボクが10代20代のころ第一線で活躍していた人は、もちろんあれから20〜30年ほど経っているわけで、そりゃ亡くなるのも仕方ない。それだけ時が経ったのだ。

ボクたちの世代が本当にショックを受けるのは、ユーミンとか桑田とかが亡くなった時だろうな。なるほど自分が生きた時代も終わるんだ、と実感させられ悲観する気がする。ま、ボクの方が先に死ぬ可能性も高い。なんだかその死を聞く前に死にたい気もする。

話は戻って土居甫。
ボクは彼のピンクレディの振付を覚えて高校の後夜祭で踊り、週刊セブンティーンに写真が載ったことがある(笑)。軽い高校生だ。タンクトップにミニ着てさ。「透明人間」をやった。その時の相方(ケイちゃん役。ボクはもちろんミーちゃん役)も若くして死んでしまった。

ちなみにその後夜祭のステージでツイストの「宿無し」をやったのが「Amoh's Bar」の天羽である(笑)

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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