復讐としての自殺

2006年11月12日(日) 10:23:52

中学時代に一人なぜかボクにしつこく暴力をふるってくるヤツがいた。いま考えればある種の「親しみの裏返し」だと思うのだけど、当時は本当にイヤだった。そいつ一人のせいで学生生活は一時期真っ暗だった。集団のイジメは経験したことないけど、アレはある意味イジメだったのだろう。学校という小さな世界に生きていた当時のボクにとっては大問題。切迫してた。

わりと追いつめられたボクは、自殺もちょっと考えた。
発想的には「そいつが強烈に後悔するようなことをして復讐する」である。ボクは当時からでかかったが、そんなボクでもかなうわけないくらい筋骨隆々の彼に、それ以外の仕返しは思い浮かばなかったのである。「ボクが自殺したらオオゴトになって、彼はめちゃくちゃ怒られるだろうし涙を流して反省するだろう。みんなボクの葬式で泣いてくれるだろう」という自己憐憫的思いつきに一瞬夢中になり、自分の「悲劇のヒーロー具合」に酔い、視野が狭くなって行くあの感じ。生々しく思い出せる。

そういう発想をしているとき、親に相談するとか先生に相談するという選択肢はない。思い浮かびもしなかったと思う。自分が彼をそういう方法でやっつけるという構図に酔っているから内緒に決まってる。バレたら止められた上にものすごく怒られて、下手すると彼に連絡が行って、事態は悪化するからね。

まぁ結果的に自殺しなかったし、彼とはその後あるキッカケがあってわりと仲良くなるわけだが、あの頃の発想の仕方はそんな感じだったなぁ。住んでる世界も視野も狭かったからなぁ。

だから、自殺が「世間にオオゴトとして取り上げられ」「相手がこっぴどく怒られ」「涙を流して反省もし」「強烈に後悔もし」しかも「自分が悲劇のヒーローになれる」チャンスとして機能している限り、自殺はなくならない気がする。だってアテツケなんだもん。視野狭いんだもん。まぁ個人的体験から言っているので一概には言えないけど。

ということは、「オオゴトとして取り上げられない」「相手は涙を流して反省しない」「死んでも悲劇のヒーローになれない」という方向に自殺のイメージを変えれば、少なくとも自殺は減るかも。もしくは「そんな甘美なもんではなくて、すっっっっげーーーー痛いし、死んだあともキレイじゃない」とか。
いまのマスコミの取り上げ方はこの逆を行っているから当分無理。報道すること自体で自殺を助長している。こういう時こそ報道協定を結べないものか。

「イジメをなくす」という根本的解決を目指す手もある。ただイジメってある意味生存本能に近い部分があるのでなかなか難しいと思うな。社会出てからだって、ネットの世界だって、国際政治の世界だって、イジメだらけだし。
とはいえ、イジメを容認しておくわけにもいかないので、せめて我が子にはイジメが何故悪いのかをしつこく説き続けようと思うのだが、いつの間にか「70年代風ラブ&ピース」的世界を説いちゃっている自分がキモイ(笑) ラブ・アーンド・ピース!

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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