Musical Baton
2005年7月10日(日) 8:32:46
Musical Batonというのが流行っている(いた?)のは知っていたが、ネット上のつきあいが少ないボクには来ないだろうと安心していたら「みかづき庵」さんと「My Favourite Things」さんから回ってきた。忙しかったのでかなり放置してましたが(ごめんなさい)サクッと書いてみます。
1)今コンピューターに入っている音楽ファイルの容量
現在146.19GB(多すぎ?)。100ギガ越えしてからは相当慎重に選んでリッピングしてます。
2)今、聴いている曲
リヒャルト・シュトラウス「変容」。書き物してるときはクラシックかジャズをアトランダムに聴いてます。
マシュー・ボーン「愛と幻想のシルフィード」
2005年7月 9日(土) 17:55:20
今週は様々な企画やプレゼンがあって相当疲れたらしく、金曜夜は帰宅してからの記憶なし。気がついたら朝の5時。リビングのフローリングの上で床寝していた。靴下すら脱いでいないでやんの。こんなの生まれて初めて。週末は本格執筆にかかる予定だったが、とりあえず自分が想像以上に疲れているみたいなので、疲れを取ることを最優先。疲れやストレスはじわじわ積み重なるから早めの対処。
こんな忙しい週だったのに、木曜夜は無理矢理マシュー・ボーンのバレエ「愛と幻想のシルフィード」を観にひとりで東京芸術劇場中ホールへ。忙しい時こそ無理矢理予定を入れる習性なのですワタクシ。そうしないと日々が仕事オンリーになっていってしまうし。
その夜はウィル・ケンプが踊らない夜だったのだが(マシュー・ボーンのはいつも開演1時間前にならないとキャストが発表にならない)、ダブルキャストの若手くんって、少ないチャンスを生かそうと必死に演じる場合も多いので、実はそんなにガッカリしなかった。今回もジェームズ・リースがなかなかの熱演。
今年2月に観たマシュー・ボーンの「白鳥の湖」の感動には叶わなかったけど、小気味よい展開と群舞の美しさ、コミカルな演技、スピード感など、それぞれ予想を超えて面白かった。でもね、なんつうかね、短すぎ! 19時に開演して途中20分の休みを入れて20時30分には終演。これで13000円は高けーよ。もちろん芸術は時間の長さで計れる物ではないけどさ、正味1時間10分ちゅうのはどうすかねぇ。
ロンドン同時多発テロ
2005年7月 8日(金) 10:40:32
ロンドンで同時多発テロ。
街角に監視カメラを置いて市民のプライバシーよりテロ対策を優先し、不審な外国人は問答無用で拘束していいっつうめちゃくちゃなテロ対策法すらあるロンドンでのテロ。テロとの闘い、という言葉の空しさを象徴するような出来事である。
オリンピック開催が決まり、ロンドンから「昨日はイギリスは大興奮でした。発表を聞いたとたんオリンピック工事にとりかかったそうです。今日もまだまだ興奮はおさまりません。イギリス人は何か一丸となってやるのが大好きなのでこれから7年間英国は元気一杯でしょう」というメールが届いたばっかりの出来事。彼らのショックを思いやる。
それにしてもブッシュの演説は相変わらず腹が立つ。ちょっと気持ちがダウン気味だったけど、ムカムカして元気が戻ってきた。ある意味ブッシュよありがとう。
プレゼン・スキル
2005年7月 7日(木) 11:38:27
2012年のオリンピック開催地がロンドンに決まった。
前評判ではパリが最有力だったし、実際、提案自体はパリが優れていたようである。が、報道にもあるように、最後の演説でロンドン招致委員長のコー氏が相当感動的なスピーチをしたらしく、ずいぶんとIOC委員の心を打ったようだ。こんな大きな案件でもスピーチが決め手になるというのが面白い。結局決めるのは人間だからね。
プレゼンテーションの善し悪しが提案の中身を越えて人の心に届く場合がある。その最適な例だ。プレゼンって大事だなぁと再認識。プレゼンのプロに言わせると、プレゼンで一番大切なのは「声のトーン」らしい。声のトーンによって人の信頼度が大きく変化するという。自分の企画に酔って上ずった声でプレゼンしたときとか、きっと説得力なかったりするんだろうなぁ…。
次の時代を担う人材に必要なリテラシーはプレゼン・スキルだね。英語も大事だけど、日本語でプレゼンできない人は英語でもできない。子供や青少年をターゲットにしたプレゼン塾みたいのを作るのも意義あるかも(もうあるだろうけど)。
NSP
2005年7月 6日(水) 9:00:21
NSP(ニューサディスティックピンク)の天野滋さんが亡くなった。「さようなら」「夕暮れ時はさびしそう」などはマジで愛唱歌(笑)なので、とても寂しい気がするが、考えたら彼が亡くなってもボクの中で彼の曲は一生消えないから、彼はボクの中では亡くならないわけで。
それにしても「さようなら」とか「夕暮れ時はさびしそう」とかを初めて聴いたときの驚きは忘れられない。暗いという単純な言葉では表現しきれない何かの叫び。こういう自己表現を堂々とする人がいるんだ、していいんだ、とか、当時中学生のボクは思った。人の数だけ表現方法はある、みたいなこと。
