2つの個展
2009年1月31日(土) 12:58:51
昨晩はふたつの個展を覗いてきた。
ひとつはボクの講義を聴いてくれたことがキッカケでメールのやりとりが始まった写真家さん。昨日までの個展だったので滑り込みセーフでなんとか見られた。
実はそんなに期待していなかったのだが、これが期待を大きく裏切る美しい写真の連続でビックリ。光の捉え方、水の動き、風景の切り取り方など、どれも素晴らしい。期待が薄かった分(失礼)妙に感動して鳥肌たてて見ていたら、当の彼女が偶然現れていろいろお話しが出来た。お会いできて良かった。
来月は赤坂で個展をするようなので、その情報が整ったらまたここで告知しますね。写真家さんは中村美和子さんと言う。もともとは建築家なのだが、一念発起してカメラマンの道に入ったヒト。サイトはこちら。写真の一部がスライドショーで見られる。
ふたつ目は広告業界の大物のひとり笠井修二さんのもの。六本木AXISギャラリーで日曜(2/1)まで開いている。
これもとても良かったなぁ。サイトに作品がひとつ載っているが、この宇宙人みたいな顔、誰のポートレイトだと思います? これ、IKKOさんなのだ。目を細めて遠くから見るか、解像度の低いケータイ・デジカメで写してみるとよくわかる。こんな感じでいろんな有名人のポートレイトがたくさん並んでいる個展。素晴らしかった。
テカテカ系
2009年1月30日(金) 6:41:42
今年はイタリアでジージャン買ったのでもう冬物は買わないと思っていたが、DIESELでテカテカ系の黒ダウンが4割引きだったので思わず手に入れてしまった。
DIESELの本拠地(発祥地)はイタリアのバッサーノ・デル・グラッパ。
去年の旅の滞在地である。その郊外に3泊した。DIESELの地元アウトレットにも行った。そういうこともあってDIESELはとても親近感あるブランドとなり、最近ではよく着ている。
ツルツルで手触りがよく、軽いので肩も凝らない。とてもお気に入り。服一着で気分ってずいぶん変わるね。最近クヨクヨが強いので、バーゲン行ってお洒落しよう。
戦友と
2009年1月29日(木) 8:56:42
昨晩は2歳下の同僚と広告の未来のカタチについて深く語った。カタチというか、新しいビジネスモデルとそれを実現するための体制みたいなこと。お互いに考えが近く、ほぼ同じ地点に着地。そう、やっぱりソコだよな。でもソコに着地する人って実は少数派なんだよな。
彼とはチェコ、ニューヨークと修羅場行脚をした。もう5年前になる。
ある企業のショートフィルムを撮るロケをチェコでし、ニューヨークで編集した。ニューヨークには3ヶ月近く滞在した。監督はハリウッドの若手で、主演は小雪さん。シノプシスはボクが書いた。
もう本当に修羅場な毎日で、数え切れないトラブルが次々起こった。でも、ハリウッドの映画監督と丁々発止やりあったのはその後の大きな自信になっている。日本と世界にレベルの差はない。それがわかっただけでも収穫だった。
その「地獄」のような仕事をしたときの戦友なので気が合うのはもちろんだが、お互いの才能的に補完しあえるのが彼とのコンビの魅力。ボクにないものを彼が持ち、彼にないものをボクが持つ。そして広告の未来にも同じようなビジョンを持つ。
しばらく一緒に仕事していないけど、そろそろまた組んで、今度は「新しい体制」を作ることを目指そうか。
冬は比較的大丈夫
2009年1月28日(水) 6:52:14
相変わらず満員電車では両手で吊革上のバーを握り「私は痴漢ではありません」と痴漢えん罪から身を守っているボクであるが、バーに手が届かない場所に立っているときはそれも叶わず、手のやり場所に困っている。困っていると手の動きが不自然になり、疑われないとも限らないのでそれまた困る。ずっと万歳しているのも変だが、かといって手を下にはおろすのは危険だ。そうするとなんとなく胸の前で手をお祈り状に組んだりするしかない。胸の前でグッと手を握る。満員電車で懺悔しているように見えるオッサンってどうよ。
でも最近は楽になった。手袋である。分厚いフリースの手袋。これをしたまま痴漢するヤツはいない。と思う。フリース越しの感触がまたたまらないの、というヘンタイが広い世界のどこかにいるかもしれないが(この世界、奥が深いらしいし)、まぁたぶんいない。だから手をおろしていても大丈夫。なはず。あれ? 大丈夫かな。ちょっと不安になってきたな。
でもまぁ冬はみんな着ぶくれてるからね。比較的大丈夫。油断してても大丈夫。問題は気が緩む春。冬の油断を引きずったまま薄着の世界に突入する。くわばらくわばら。ってまだ気が早いけど。
あとひと回り
2009年1月27日(火) 8:16:06
数日前に60歳の話を書いたが、実は「60歳」が妙に気になっている。
正月に「今年はウシ年、年男。…ということは、次のウシ年で60歳か!」と、急に認識してしまって以来、なんとなく頭から離れないのである。自分でも意外なほど「あとひと回りで60歳」という思考がしょっちゅう出てくる。つまりは人生の短さに対する慨嘆であり、つまりは残り時間が意外と少ないことに対する焦燥である。
もちろん60歳以降にも(健康であるならば)長い長い人生は存在する。そんなことはわかっている。でも、サラリーマンにとって60歳というのは特別な年齢だ。定年。もうアナタはいりませんよと言われる年。そこまでサラリーマンでいるかどうかは別として、60歳がある種の社会的区切りであることは間違いない。
