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「蕭々館日録」

amazon無人島に一冊持っていくとしたら漱石の「吾輩は猫である」を持っていく、という著者が書いた久世版「吾輩は…」である。
語り部は猫から5歳の早熟少女に変えてあり、登場人物も(名前は変えてあるが)芥川龍之介、菊池寛、小島政二郎らであり、時代も大正から昭和に変わる頃、と、もちろん著者なりにアレンジはしてあるのだが、元本は明らかに「吾輩は…」。あそこに漂う高等遊民的空気と語り部による観察・批判の鋭さを再現しようとしたものなのである。
「猫」に比べて語り部の「麗子」が同族である人間な分、視点が「猫」よりだいぶん人間に近く、それが中途半端な感じになっていて--麗子のヒトとしての心情が描けすぎている--ちょっとウェットに傾きすぎている。そこが強みでも弱みでもある本。向田邦子が書いた方がもっとドライになって面白かっただろう。
「重箱の隅っこに文化がある」という一文があった。今時重箱の隅など、だれも覗かない。その淋しさをバネにしてしっかり書き込んだ労作だとは思う。相当な知性と緻密な下調べ、そしてこういった筋がない物語を破綻なくまとめあげる筆力、感服する。
が、この馴染めない感じはなんだろう? もうボクがこういうものを楽しめなくなっているのであろうか。駆け足で過ぎていく時代へのアンチテーゼとして示された本でもあるとは思うが、まさに駆けている状態のボクは何度か途中で挫折しそうになった。心の余裕がある時にゆっくりスルメのように味わう本であるかもしれない。
2001年07月01日(日) 12:00:00・リンク用URL
ジャンル:小説(日本)
@satonao310