日航機事故(入社)、阪神大震災(出産)、東日本大震災(独立)

2013年8月12日(月) 8:28:25

日航機事故の年、ボクは新入社員。
ニュースが毎年「あれから何年か」を教えてくれる。
あれから28年。
つまり、社会人になって28年。

阪神大震災の年、ボクは子供を授かった。
これもニュースが毎年「あれから何年か」を教えてくれる。
あれから18年。
つまり、うちの娘は今年18歳。

東日本大震災の年、ボクは会社を辞めて独立した。
これまたニュースが毎年「あれから何年か」を教えてくれる。
あれから2年。
つまり、独立してから2年。もう2年。まだ2年。


新入社員の年は(同じ大阪支社の人が7人亡くなったこともあって)お葬式に追われた。
入社半年、目をかけてくれた上司も事故に巻き込まれた。彼の存在が(知っている人が誰もいない大阪生活で)救いだっただけに、喪失感も大きかった。
現実感がないまま、炎天下の中、社葬の駐車案内をした(新人の役目)。どこまでも続く喪服の黒。新人の年の印象はその風景。ボクの新しい生活は「黒」の印象から始まった。

子供を授かったのは震災から1ヶ月半後。
活断層の真上であの揺れを体験し、臨月の妻とともに神戸〜京都〜東京と避難して東京で授かった(ついでに言うと、生まれて2週間後に地下鉄サリン事件があった)。
まだ新婚1年だったのだけど、この避難と出産の一連で、はじめて「一緒に生きていく仲間としての家族」を感じることができた。ボクの新しい生活は(災害というきっかけではあったけど)「希望」の匂いがぷんぷんしていた。

会社を独立したのは震災とほぼ同時期。
会社からそのリリースが出る数日前に震災が起こった。ボクはそのまま支援活動に突入し、社の方々への挨拶もちゃんと出来ず、25年間愛した会社を静かに去ることになった。
支援系で新しい仲間は増えていった。でも、ボクの新しい生活は、「独立」の文字通り、「独り」を実感するスタートだった。

ボクの人生の大きな区切りを、テレビや新聞が毎年「あれから○年経った」と教えてくれるのは(偶然とはいえ)実にありがたい。
毎年、いろんな思いが去来する。

今日は日航機事故があった日。
あれから28年か。

毎年、新入社員のあの「黒」い風景を思い出す。今年ほどではないけれど、あの夏も暑かった。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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