ずっと捨てられなかった漫画
2013年2月 5日(火) 19:03:58
白山宣之という人の『陽子のいる風景』という30ページほどの短編。
単行本ではない。
20年ほど前の漫画誌「週刊モーニング」に単発で掲出されただけのもの(調べたら1992年9月12日号だった)。
一読、魅せられた。
なんとも言えぬ余韻。端正に過ぎる時間。間。風。光。
人の内面を直接的に表現せず、会話も最小限に抑え、時間を丹念に丹念に切り取ることでそれを描ききる。そんな遠回しな表現が作り出す “奥行き” が、騒がしいコミック誌の中で異彩を放っていた。
なにか事件が起こるわけでもない。普通の夏の一日が始まり、終わる。それだけ。
なのに感動し、反芻し、何度も何度も読み返した。小津安二郎の世界を漫画で表現したらこうなるんだ、と、感嘆した。
絵も異様にうまい。
ひとつひとつのコマを “鑑賞”して見飽きない。たった30ページなのに数十分眺めている。こんな漫画も珍しい。
1992年の9月に阪急苦楽園口の売店で買った週刊モーニング。
この号だけ捨てられなくなった。
それから20年、引越は3回しているし、断捨離も幾度もしている。
でもこれだけは捨てなかった。
何度目かの断捨離のとき、思い切ってモーニングの本体は捨てたが、写真のとおり、この短編だけは切り抜いて保存した。そのくらい好きな漫画だった。
もちろん「白山宣之」という漫画家のことは探した。
でも単行本は(当時ボクが知る限り)出していなかった。だからそれ以来、彼の作品に出会えず、そのうち忘れ、たまに納戸を整理するときに「あー、この漫画、好きだったよなー」と再読するくらいになった。
数日前、週刊文春のいしかわじゅんさんのコラムを読んでいて、この白山宣之という四文字に再会した。
思いがけない再会。
一瞬わからなかった。愛する『陽子のいる風景』の漫画家さんだと思い出すまで数秒かかった。
なんと去年亡くなったという。
彼のコラムは、この寡作な漫画家、白山宣之を惜しんでいた。
あー、亡くなったのかー。
こんな大名作を書いてくれたのに、ほとんど知られず、そっと亡くなったんだなぁ。。。
そのコラムによって、彼の才能を惜しむ漫画家たちの発案で遺作集が出たことを知った。
愛する『陽子のいる風景』も冒頭に収録されている。
すぐ買った。判型の関係で、少し小さくなった陽子がいた。相変わらず瑞々しかった。
単行本は手に入れたけど、ボクはこの切り抜きを捨てないだろう。
20年、いっしょに黄ばんだ。
そこには年月という時間の澱が静かに定着している。
そしてそれは、白山宣之が描きたかったことに、たぶんとても近いから。
