人生から余分なものをそぎ落としていった先にあるもの 〜松村光芳講演会
2012年9月22日(土) 11:22:28
昨日のラストに書いたように、昨晩は松村光芳さん(まーくさん)の講演会だった。
「死に直面してわかったことがある。それを友人、知人、若い人に伝えたい。残したい。」
これは、4月の手術前に彼が言った言葉。
お見舞いに行くたびにそう言われた。
脳腫瘍が言語野に大きく巣くっているのがわかってからたった一週間後の手術。
手術の結果によっては彼は「言葉」を失う。つまり「言葉による思考」も失う。それは彼にとって「死」とイコール。そうなってしまう前に「なんとか伝えたい。残したい」と目を見て訴えられたのだ。
手術までに残された時間は数日しかない。
「とりあえずはエピタフ(墓碑)的なものをネット上に残したい」とのことで、ボクたち(一緒に呼ばれた関知良さんとボク)は、彼のネット上のコンテンツや人生上でたくさん撮られた写真、作った曲、医師としての経歴などをまとめて世の中に公開する(残す)ところまでは約束した。
そのために彼に関係するあらゆるIDとパスワードを教えてもらい、いざという時に彼の私用コンピューターなどにアクセスできるようにした。
「収集したエロ写真などは忘れず削除しておいた方がいいっすよw」
「あ、そうだ! 忘れてた!w」
と、男の子的お約束の会話をし、そしてボクたちは手術の日を迎えたのである。
結果はこの日のブログの通り。
こんな経緯だったのでえらく「自分ごと」になっていて、なんだか熱く空回りしている気恥ずかしい記事になっているが、それも仕方がないくらい臨場感があったのである。
で、無事に手術成功し、彼は戻ってきた。
手術後にお見舞いに行ったときの彼は、とても透明な目をしていた。「死」についての覚悟も整理も出来きっている目。手術が成功したとしても、残された時間は長くはない。
松村先生と関さんとボクは3人で何度か話し合いをし、「伝える」「残す」の方策を考え始めた。試行錯誤ののち、関さんのツテを頼ってマガジンハウスの鉄尾編集長に話をしにいき、出版化の話が決まった。
まぁ決まっても決まらなくても、ボクはインタビューを始めたとは思う。
出版がかなわなかったらサイト上に残せばいい。いや、むしろ、内容を伝えるだけなら、サイト上にまとめる方がいいかもしれない。そうも考えていた。本は書店からすぐに姿を消すが、デジタル保存はネット上で生き残り続ける。
ただ、同時に、松村さんの言葉を残す(遺す)のに、「手にとって読む」「指でページをめくる」という「本にしかない親密さ」は絶対必要だとも思った。手で彼の言葉に触る。それがどれだけ重要な過程であることか。
8月14日。
正式にインタビューを始めた。
それから、8月15日16日18日21日、9月10日11日12日と、約2時間ずつ対話を重ねてきている。間が大きくあいているのは、抗がん剤投与期間のせい。その期間、彼は疲労が激しく、しゃべる気力がなくなる。
そして、並行して、昨晩の講演会の企画も進み(これはビンゴさんを中心に)、めぐろパーシモンホールの小ホールというとてもいい場所も確保でき、昨晩を迎えることができたのである。
200人もの方々が集まった。
とても親密で内省的で愛情に溢れた、そして(死に対して)清々しい、「きっぱり」した講演会だった。
彼がいかに愛されているか、よくわかった。
彼はTEDさながら、ホール中央に立って、フリーハンドで話をした(クリッカーでスライドを操作しながら)。
しゃべりがうまい。
客席の中央で演台もなくしゃべるって難しいし緊張するのだ。でも滔滔としゃべる。ポイントをはずさず、シンプルに言葉を伝える。
とても感動的でよい会だったなあ。
内容的には、そのうち本にまとめてお伝えできると思う。
昨晩話された内容をより深く詰めていった先に「本」がある。そのつもりで書いていこうと思っている。
こうして彼は「整理」をまたひとつ終えた。
彼にとって、これも「そぎ落とし」のひとつなんだろうと思う。
そうやって人生から余分なものをそぎ落とし、固めた鎧を脱ぎ捨てていった先に残るもの。
そこだけで生きていこうとしている彼。
「さとなおくんさぁ、ボクはお先にそぎ落としたよ。キミはどうするの?」
重いボールを渡された、そんな夜でもあったのだった。
ちなみに、昨晩の模様は映像で押さえられているので、そのうちYouTubeにアップされると思う。
いくつかブログにもアップされていくと思う。
アップされ次第、次々リンクを以下に張っていくが、とりあえず野田くんがすばやく上げていたので彼のを読んでください。
彼のブログの最後にボクも映ってます。
ハゲふたり。映し鏡のようで見分けがつかん!w
野田祐機くんのブログから:「人生の全ての出来事が「ご縁」で繋がっている」
