それにしても男性のバレエ客が増えたなぁと思う
2012年2月 4日(土) 9:37:45
それにしても男性のバレエ客が増えたなぁと思う。
十年前くらいにバレエを観に行くと「ここはオレが紛れ込んでもいい世界なのだろうか」というくらい女性ばかりだった印象がある。男性客はとても目立った。気後れする時すらあった。
明らかに「アタクシ、バレエを習ってましたの」風の女性も多かった。そうでなくても、わりとフリル系の女性が多かった。そしてちょっと社交場的な雰囲気もあり、ある程度のオシャレが必要な空気もあった。正直このままマニアック女子会になっていき、ガラパゴス化するんじゃないかと危惧したりした。
それがどうだ。
一昨日もボリショイ・バレエ来日公演「スパルタクス」をまた観に行ったのだが、もう男性客など特別な存在ではない。
火曜に行ったときは東京初日だったので関係者も多く来ており、男性もまぁまぁいたが、一昨日はそういう日ではない。普通の公演日。なのに男性客が3割くらいはいる印象。いやぁ増えたなぁ。良かったなぁ。年齢層も広く散らばり、バレエ初心者風の人も多くいた。「スパルタクス」が終わって「いやー、バレエって面白いねー!」とか大声で話してる男性客とかもいた。まぁボクも(こうしてブログに書き続けて)男性客誘致に多少は貢献しているとは思うけど、それにしても隔世の感がある。
とはいえ、バレエっつうと「なんかふりふりのヤツつけて跳ねたり回ったりしている、なんかちょっと気恥ずかしい女性お習い事系」みたいに思っている男性はまだまだ多い。
そんな人がこの「スパルタクス」を観たりすると腰抜かして驚くだろうな。
実に男臭くパワフルな肉体芸術だ。
そりゃ女性ダンサーはバレエの華だ。たおやかで可憐で美しい。でも極限まで鍛え上げられた肉体と技に裏打ちされていて、なにげなくやっているダンスもそれはそれはものすごいテクニックだったりするのである。そういうことが当たり前の前提としてあって、そのうえで複雑な振付を覚え、ストーリーに沿った熱い演技もしていかなければならない。それがいかに高レベルなことであることか。
で、その「当たり前の前提としてのダンス技術」を得るために、ダンサーたちは幼稚園くらいから稽古と訓練を毎日毎日積みかさねていく。毎日毎日だ。
そして、そんな毎日を積み重ねた数十万人の中のたった数十人がボリショイという狭き門をくぐることを許され、その中のほんの一握りがプリンシパルやソリストに選ばれる。
そんなスーパーな人たちが、遠きモスクワからわざわざ大挙して東京にやってきてくれているのである。まぁバレエチケットは絶対的には安くはない(一番高い席で22000円)。でも、こちらから現地に行くことを考えたら超安い。さりげなく「ボリショイバレエ来日公演」とか書いているが、これがどれだけ幸せなことなのか。それを見逃すことがどれほどの損失か。ボクは声を大にして言い続けたいw
バレエは音楽を可視化する。
音楽を、極限まで鍛え上げられた肉体によって、可視化する。
そして、それが極限的肉体表現だからこそ、熱い観客が必要だ。客席の熱がなければ最高のダンスを引き出せない。バレエとは舞台と客席の共創なのだ。そこが他の芸術表現と少し違うところ。だから客が大切だ。もっともっと男性客が増えて客席がヒートアップするといいなと願っている。
さて今日は昼からボリショイバレエ「白鳥の湖」に行ってくる。アレクサンドロワによる猛禽類的オデットが楽しみだw 「スパルタクス」ほどの熱さはないが、最高に好きな演目のひとつ。
え? 2回目の「スパルタクス」はどうだったかって?
いやー、マジで最高だった。客席が沸いた沸いた。この演目、実はとってもエッチなダンス表現が多くでてくるのだけど、グレゴローヴィチ振付の意図とかを考えながら観ていてとても楽しかったな。
そういう意味で、初回の娼婦エギナ役は、初回のシプーリナの方が、2回目のアラシュよりずっと妖艶で奔放で上手だったと思う。アラシュは大好きなダンサーだけど、ちょっとダンスが端正すぎて娼婦っぽいいやらしさが醸し出されていない。フリーギア役のルンキナは初回も2回目もこなれたダンス。全体にちょっと地味な人なのだけど、役柄によく合っていたと思う。
不満はクラッスス役のヴォルチコフ。去年11月のモスクワ公演の「眠りの森の美女」の王子役は素晴らしかったのだけど、なんかこの司令官役はどうにも違和感あった。というか、調子悪かったみたい。初回など何回か転んでいたし。
ええ、スパルタクス役のワシーリエフについては言うことありませんw
超・超絶技巧を前提とした熱い熱い演技。堪能させてもらった。やっぱり数十年にひとりの逸材なのだろうと思う。ミハイロスフキー劇場としてオーシポワと一緒に来日するのが待たれるなぁ。
