自分と似た部分を探す作業

2011年3月 1日(火) 7:43:28

八戸レビュウの話の続き。

翌日は「梅佳代とのトークショー」本番の日であった。梅佳代さん、と「さん」をつけるとなんか感じが出ないので、急に呼びつけw

まぁ梅佳代については、名作「NHK 視点論点」を見ていただくのが早い。
以前も「話せることと伝わることは別もの」という記事で書いたが、人に「伝わる」ために、どれだけ「自分が全面に出るか」(前面ではなく全面)が大切かが、この抱腹絶倒かつ放送事故一秒前の映像を見ればすぐわかる。

実は文章講座のときも、このビデオをみんなに見せた。
文章を書くことに馴れていない人は、いざ発表する文を書くとなると、みんな文章を飾り立てたがる。平たく言えば「格好をつける」。でもそれでは実は何も伝わらない。「本当の自分」がどこかに隠れて、借り物のニセの自分になってしまい、読む側にそれがわかっちゃうからである。そのことを知ってもらうために見せた。素でいいのだ、ということ。そして「自分」をそのまま見せることで逆に共感が起こる、ということ。

世の中に「自分」はふたりといない。よく似た人すらほとんどいない。だから人は基本的に寂しい。他人の中に「自分と似た部分」を見つけたがっている。他人と話していて「わかるわかる!」とか「あるある!」とかがあんなにうれしいのはそういうことだ。

伝わる文章とは、そのような「自分と似た部分を探す作業」を、人に容易に起こさせる文章だとボクは思う。

梅佳代とボクは、性も世代も生きてきた環境も何もかも違う。だから基本的にそこに共感が起こるはずがない。
でも、その、全く違うはずの梅佳代の中に「自分と似た部分」を見つけてしまう。あ、ボクと一緒の感じ方だ、とか発見する。そこに共感し、好きになる。梅佳代が全くプライベートなこと(祖父)を紹介する、というこの映像には、梅佳代の素がそのまま映っている。なにもかもが自分と関係ないことなのに、この映像は「共感の巣」と言ってもいいほど共感できる。

ここに表現のキーポイントがすべて入っている気がするなぁ。

で。
こんな梅佳代と壇上で対談するのがいかに怖いか、わかってくださいますよね(笑)
素っ裸になってくる梅佳代と、まだその境地まで達していない自分。それが壇上であからさまになってしまうのである。怖い怖い。

てなことで、ランチ(「コルテ」)での打ち合わせでもちょっと緊張した。
でも、梅佳代本人も最初は緊張していた感じなので気が楽になったけど。

写真集「うめめ」の巻末に収録されている彼女の文章が大好きで、何度も何度も読んだことを伝えたりしているうちに少し打ち解けてきた。写真はランチの時の彼女。

そしてそのまま対談へ。

って、仕事に行かないといけないので、今日はここまで。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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