青年団「東京ノート」
2010年7月14日(水) 12:54:57
第17回BeSeTo演劇祭特別企画で、青年団の「東京ノート」を観てきた。@新国立劇場特設会場。
BeSeToとは「Beijing、Seoul、Tokyo」の頭文字を取ったもの。演劇人による国際文化交流の場である。
「東京ノート」は、劇作家・平田オリザさんの代表作と言われるもの。
1994年初演で、第39回岸田國士戯曲賞受賞。10ヶ国語に翻訳され、15ヶ国での公演している。オリザさんとは「国民と政治の距離を近づけるための民間ワーキンググループ」で一緒に活動して以来親しくさせてもらっているが、この作品を観るのは初めてだ。
会場は新国立劇場のホワイエというかエントランス・ロビーかな。
ゆるやかな階段をバックにした、天上の高い贅沢な空間に簡素なセットを置き、100席ほどの客席を作ってある。この作品の舞台設定が「フェルメールの展覧会をやっている美術館のホワイエ」なので、雰囲気も設定もピッタリ。奥行きも臨場感も完璧だった。特にボクはマチネで観たので、その特設ステージに外光が入り、本当に美術館のホワイエのようだった。作品の時間設定は夕刻なのでソワレでも雰囲気がいいと思うし、照明ワークも観たかったが、まぁマチネで満足。
題名からわかるとおり、小津映画「東京物語」をモチーフとしている作品。
今回の特別企画では日中韓3カ国として中国・韓国からも役者を招いて共演している(訳はうしろのモニターに映る)。ボクが観たのは純日本人版だが、中韓の役者が入るとまた違った趣きになったんだろうなぁ。なにしろ日中韓が戦乱のヨーロッパに共同の平和監視団を送っているという設定だし。
ちょっと無理して観に行ったのだが、観て良かった。
なんというか、人間って、日々触れ合っているようで、実は本当にはまったく触れ合っていない。自分の人生や社会にすら「当事者」になれずにいる。それを美術館のロビーという「場」を使って、見事に浮き彫りにした作品、というのが見終わっての印象。
誰も真剣に他人のことなど見ていない。家族ですらお互いを見ていない。見えていない。知っていたつもりでも知っていない。それは美術館のロビーでたまたま交錯する人生とそんなに変わらない。それを本質的なものとみるか現代における関係性崩壊の過程と見るかは人に寄ると思うけど、ボクは本質を描いたものと思った。望遠鏡のエピソードや「私をちゃんと見て絵を描いて」と訴える次男の妻の言葉にそれらが重なり、なんとも胸が苦しくなった。
台詞やエピソードがいくつも同時進行し、役者は観客に向き合わずボソボソ話す。そこに特設会場の雰囲気も加わって、観客はリアルに「美術館で垣間見られる他人の生をのぞき見る」という体験をする。まったくの「客観のぞき見」が行われるのだけど、ラストではいつしか登場人物と心の襞を共有している。無理矢理ストーリーの中に入らされるのではなく、1時間45分かけてゆっくりそこに入っていく感じがとても良かった。
劇中で「我々は絵を見ているのか、絵を描いている画家を見ているのか」という命題が出てきたが、自分は自分のフィルターを通して相手を見ているわけで、それは本当に「相手」なのか、それとも実は「自分」を見ているのかがちょっとわからなくなる不思議な感覚に襲われた。それだけでも収穫だったと思う。
あ、それと、なんてことない役なんだけど、女性弁護士が妙に心に残った。なんでだろう、薄い人間関係と、それを戸惑いつつ受け入れている人々の中で、逆に一番それに逆らって生きようとしているように見えたのかな。そんな素振りも台詞もないのだけど。
