最後の1年

2009年12月14日(月) 8:22:22

昨日ご紹介した朝日俊彦先生の講演音声ファイルの中にこんなような言葉があった。

最近の心理学ではこういうことがわかってきた。
たとえば80歳で亡くなるとして、その方が79歳まではそこそこいい人生がおくれたけれども、最後の1年は案外つまらなかったとする。そういう方がいよいよ息を引き取るときにどう思うかと言うと「オレの人生、つまらなかった」と思うのだそうだ。
ところが逆に、79歳まではたいしたことはなかった、という方が、最後の1年そこそこよかったら、その方は息を引き取るときに「オレの人生はよかった」と思うのだそうだ。
なるほどそうなのかもしれないな。
刺激が多い毎日で、長い目で見ると楽しい人生をおくっていても、直近の1ヶ月が悩みだらけで苦しいと「もうオレはダメだ。人生はつらい」とか思うもんなぁ(笑)。そのまま死んだら、死ぬ瞬間は「あー幸せな時期も確かにあった気がするが、総じて人生は不幸だった」とか思うのかも。

どうせなら人生はハッピーエンドがいいわけで、死ぬときにネガティブなのはイヤである。
幸い、「死」は将来やってくる。つまり、事故や突然死を除けば、「傾向と対策」は考えられる(受験のようだ)。最後の1年を幸せに過ごすことを考えて、逆算で "具体的に" ライフデザインしてみたらどうなるんだろう。年末じっくり考えてみよう。

ちなみにボクは、「たった今」死んだら、きっと「うん、そこそこ楽しかったな」と笑って死ねると思う。だって楽しいから(もちろん日々ヒーヒー言ってるし愚痴も言っているが、総じて楽しい)。これもしたかったのに、あれもしたかったのに、という願望もそんなにないかも。だいたいにおいて「足りている」。

逆に70歳や80歳になったときにそう言えるかどうかはよくわからない。相対的なものだからね。そのころはそのころで別の楽しみを見つけているとは思うが、いまの「激動感」に比べると物足りなく思っている可能性もある。どこかで大きくシフトチェンジしないと、「今」と比べて「なんかつまらんなぁ」とか思っちゃいそうだ。

どこにどうランディングするか。いわゆる人生の落としどころを日々意識していないといけないな。
小鳥さん理論でいえば明日にも「死」はやってくる。今日の生き方はこれでいいのかどうか。ジョブズ風に言えば「If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?」。今日することは本当にやりたいことなのかどうか。そんな「今日」の連なりの向こう側に、ボクはいったいどんな「死」を迎えるつもりなのか。

ふと、加藤和彦を想う。
彼は、不幸だから死を選んだのではなく、まだ幸せなうちに死という終止符を打ちたかったのかも、とか。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター

(株)ツナグ代表。(株)4th代表。
復興庁復興推進参与。一般社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
花火師。

1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。

現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。

本名での著書に「明日の広告」(アスキー新書)、「明日のコミュニケーション」(アスキー新書)、「明日のプランニング」(講談社現代新書)。最新刊は「ファンベース」(ちくま新書)。

“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(コスモの本、光文社文庫)、「胃袋で感じた沖縄」(コスモの本)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「さとなおの自腹で満足」(コスモの本)、「人生ピロピロ」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」(文藝春秋)、「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。

東京出身。東京大森在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園・夙川・芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao310@gmail.com まで。

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