関谷江里著「京都 美味案内 全216軒」
2009年6月 9日(火) 8:35:39

ボクが京都に行くときにいつも参考にするサイト「関谷江里の京都暮らし」が1ヶ月ちょい前に本になった。
サイトに載っている店情報を厳選してコンパクトにまとめてくれたもの。フルカラーで写真満載(彼女が個人的に食べに行ったときのデジカメ写真が中心)。携帯しやすいからサイト見るより便利かな。というか、サイトの更新が頻繁なので、本で「行きたい!」と思った店の最新情報がサイトで読めるのもこの本の売りだと思う。ある意味サイトと本の融合。京都に食べに行くのがまた楽しみになった。
彼女とはご飯を数回食べたことがあるが、独特の雰囲気を持った方で、とにかくひたすら楽しく明るく食べる。ここまで明るく食べる人って他に知らない。一皿ごとに「おいしーおいしー」と大騒ぎする。でも、よく観察していると、実は料理のイイトコロを上手にすくいあげて騒いでいる。料理に対して肯定から入るタイプ。これって逆に経験値が高いからこそ出来る技。ほら、人間にたくさん会ったヒトほど人間に肯定的になるでしょ(性格にも寄るかもだけど)。それと同じ感じ。
ちなみにボクと彼女では店に対するつきあい方が違う。
ボクは(ほんの数店を除いて)店と仲良くなるのがあまり好きではないタイプ。しがらみを持たず自由に食べ歩きたいのがその理由。だから料理人の友達なんていない(沖縄の彩香さんくらいかな)。そしてボクは基本的に店で料理の写真を撮らない。メモもしない。というか食の専門家になろうなんてこれっぽっちも思ってないので、一般客のひとりとして、普通に食べて普通に帰り、感想をサイトに載せるくらい。だから食材にも調理法にも特には詳しくないし、詳しくなりたいとも思っていない(もちろん経験値が溜まれば自然にいろいろ知ってはいくが)。たまに食関係の本を出すけど、紀行文に毛が生えた程度の趣味の範囲。
関谷さんはスタンスが違う。
店と仲良くなる。料理人とよく話し個人的に親しくなる。「料理とは料理人を食べること」という前提に立っている感じ。だからその料理に惚れると応援して料理人をもっと伸ばそうとする。京都の食を応援し底支えするココロザシを強く持っている。食材や調理法についてもちゃんと勉強している。読者に伝える使命感を持って料理の写真をその場でデジカメで撮っている。献立もくわしくメモる。読者に誤りなく伝えるのが重要だからだ。
そう、ボクとはずいぶん違う。
食べ方もスタンスも、もっと言っちゃうと感性すら違うと思う。
でも、ボクは彼女が書いたこの本をかなり利用すると思う。
「いろんな情報ソースの中の『大きな』ひとつ」として、個人的に貴重だからだ。
この辺、もう少し説明しておいた方がいいと思うので、長文になるけど書いておこう(いっつも長文じゃん、と、今一斉にツッコまれた気がする:笑)。
昔と違って、ボクは今、「いろんなガイドがあっていい」というスタンスをとっている。
秋には「ミシュラン」の大阪・京都編が出るらしいが、「ミシュラン? あ、そう。別にいいんじゃないかなぁ」という感じ。海外からの旅行客にはいいと思うけどボクはきっと使わない。でもそれでいいじゃん、というスタンス。批判もしないし賞賛もしない。
1990年代後半、ボクは、店と結びついて店から特別待遇を受けるレストラン評論家たちを批判し、いろんなガイドブックやマスコミに対してもその視点を批判してきた。その挙げ句そういったものへのアンチテーゼとして「ジバラン」という自腹覆面レストランガイド(1996〜2005)を主宰したりしてきた。でも、いまは「いろんなガイドがあっていいんじゃない?」というスタンスだ。
なぜそう変わったか。
理由はひとつ。「世の中に流れる情報量とメディア環境が激変したから」である。
本当にここ10年で史上稀に見るくらい激変した。
世の中に流れている情報量はここ12年で637倍になり(総務省発表データによる)、一般人が触れられるメディアも激烈に増えた。
雑誌や本くらいからしかレストラン情報を得られなかった90年代は、レストラン評論家の記事は大きな影響力を持ったので、彼らの記事の欠点を批判し代替策を提示することは必要だった。でも、情報洪水&メディア激増の今、相対的にレストラン評論家の影響力は低下し、一般人によるランキング・サイトやブログや本もたくさん出て、状況は大きく変わった。
マスヒロ氏によるレストランガイドくらいしかなかった頃と違い、いまや一般人はいろんな情報ソースを見比べてレストランを選ぶことができる。高名なレストラン評論家の本もいまでは「いろんな情報ソースのひとつ」。情報価値としてブログと並列かつフラットになってしまった。
実際、ボクはもうその手の本や雑誌に以前ほど頼らなくなった。周りの人も個人的に信頼できるブログの記事でレストランを選んでいる人が多い。高名なレストラン評論家のひと言でブームが起こった15年前では考えられなかったことだ。
だからといって、レストラン評論家の存在価値がなくなったわけではない。
経験豊富かつ店を深く取材できるレストラン評論家からの情報は「いろんな情報ソースのひとつ」として貴重だ。それは一般ブロガーには出来ないことだからである。で、一般客は、それを読んで店の情報を仕入れる一方、サイトで一般人の評価やランキングと比べ、信頼するブロガーや友人などの感想も知って、比較検討してから行くレストランを決めればいいわけである。
もちろん情報は玉石混淆で、有害な情報も流されているが、それは情報洪水時代の基本リスク。「有害な情報やいい加減な情報を見抜くこと=情報洪水時代を生き抜くこと」である。こういう時代だからこそ有害情報に騙されないリテラシーを個人個人が持つべきなのである。
つまり、有害な情報やいい加減な情報を見抜くことを含めて、比較検討能力が高い人にとってはとってもいい時代になったわけ。「情報リテラシーが高ければ高いほど、いいレストランに辿り着ける」という世の中になったということ。
ボクが「ジバラン」的なレストランガイドをやめたのも、10点法で採点していたサイト上の「おいしい店リスト」を主観的感想に書き換えてリニューアルしたのも、すべて「時代が激変したから」という理由である。
時代が激変し、一般人の意識やメディアも激変した。読者(一般人)のお役に立てればと思ってボクがサイトに掲出している情報も、それが読者のためだからこそ、読者の激変に対応して変わっていかないといけない。それだけのこと。
ボクのサイトも、ボクと趣味嗜好が合う人が「いろんな情報ソースのひとつ」として利用してくれれば良いと思っている。
だから、レストラン評論家やガイドブック、いい加減なグルメ番組などを批判する気ももうない。それらも「いろんな情報ソースのひとつ」としてありがたく利用するのが情報洪水時代には正しいと思う。それを上手に利用するもしないも個人の情報リテラシー次第。とっくにそういう時代になっている。
話が脇道にそれてしまったけど、つまり、関谷さんの「京都 美味案内 全216軒」は、「いろんな情報ソースのひとつ」であると同時に、特にボクは彼女のオススメでハズしたことがほとんどないだけに、個人的にはとても貴重でありがたいということです。
京都在住の京都経験豊富なレストラン評論家が京都の店について書いた本であると同時に、個人的に信頼するブロガーからの発信でもある。つまり「いろんな情報ソースの中の『大きな』ひとつ」なわけですね。個人的に。
ま、ボクを信頼していただけるならば、まずはこの本を基点にして京都のうまい店情報を集めるといいと思う。
あとは比較検討だ。関谷さんだけを信じる時代でもないし、他のレストラン評論家やブロガーたちの言葉だけを信じる時代でもない。両方見て、上手に検討し、一生に一回しかないその食事を最大限楽しく豊かにする。そういう情報リテラシーが大切なだけ。
ちなみに、本文が少なく、多くの料理写真で店を紹介しているこの本。一の写真を見て十を知るリテラシーが要求される。
「あぁこういう料理をこう出してコースをこういう風に構成する店なのね、だったら私の好みっぽい」とか、写真からある程度想像できる人にはものすごく雄弁な本であるが、初心者には多少不親切な面もある。でも、その辺も「いろんな情報ソースのひとつ」であるということ。それをわかって使えばいいだけのことである。
