半藤一利著「幕末史」
2009年5月25日(月) 7:48:42

半藤一利の「幕末史」
(新潮社/1800円)を読んだ。
500ページ弱の大部ながら、あまりに平明で面白く、読み終わってすぐ昨日一日かけて再読してしまった。あぁ脳味噌内で従来の幕末知識が新しい視点を与えられ、シャッフルされソートされ正しく並び替えられるこの快感よ。しかも超やさしい記述。丁寧にしてホスピタリティに溢れている。
ボクの歴史遍歴は「源平〜戦国〜幕末」で、それが「小〜中〜高」とシンクロする。
ご存知の通りかなりの凝り性なので、特に高校の時に凝った幕末は「学者になれるレベル」と自負していた。まぁいま考えれば「単に歴史小説を多読濫読しただけの超マニア」でしかなかったのだけど。海音寺・司馬遼・子母澤らの視点を出発点に、あるレベルには達していたとは思うが、幕末オタクの域を出ていなかった。そしていまではその大量の知識もほとんど空の彼方。幕末にくわしかった、という自負だけが残った状態。
でも、あのころ身につけた幕末の知識って見事に「薩長史観」であり、攘夷のことも無血開城のことも戊辰戦争のこともほとんど何も知らなかったのだとこの本を読んでいたく思い知らされた。ちゃんと鳥瞰俯瞰できていない地を這いずる虫の目線での幕末史観だったのだ。細部には異様にくわしいが全体が見えていなかった。そしてそのままオトナになっちゃった。
そう思い知らされるくらい、この本は鳥の目線を与えてくれる。
語り下ろしということもあって、めちゃめちゃ平明でわかりやすい。かつ細部を疎かにせず(エピソードは異様に豊富)、歴史の縦糸と横糸を自由に行き来し、しかも乱れず、懐深く、読者の頭をクリアに整理してくれる。そして自然と薩長史観に染まってしまった大部分の人々の頭を、フラットかつ客観的にしてくれるのだ。あぁこれだけ調べ尽くしたと思っていた事柄でも見方や切り口を変えるとこんなに違って見えるんだぁと、この歳になってようやく気づかされた感じ。感慨を覚え姿勢を正す。
それにしても著者の博覧強記かつ頭の整理されていることよ。
「週刊文春」「文藝春秋」の編集長、取締役を経て作家になったという経歴も手伝っているのだろう。社会で揉まれることによって手に入れられる視点は多い。しかしこの平明に見渡す才能には嫉妬するなぁ。憧れるレベル。小室直樹の「痛快!憲法学」を読んだときに感じたのと同じ感覚。
著者は「歴史は公正でなければならないのに、いまだに薩長史観が世に罷り通っているのは残念でならない」と書いている。明治維新は「維新」ではなく、薩長による「革命」であり(もしくは徳川の「瓦解」であり)、「志士」たちは徳川にかわって天下に号令したかっただけで、「新政府の”革命家”たちは(統一後のことを)ほとんど何も考えていなかった」と言い切りつつ、それもひとつの視点だよと謙虚に身を引く。そのあたりの距離感もいい。でも、読後、西郷や龍馬の姿が少し違って見えること請け合い。
また、秀逸なのは、明治11年まで鳥瞰した上で「幕末史」と括っていること。明治初頭の”革命家”たちによるめちゃくちゃまで描いてこそ、幕末の私利私欲が見えてくる。廃藩置県の裏側の哀しみを知ってこそ、明治革命の真の姿が見えてくる。
著者には「昭和史」という大評判の前作があり、本当はそちらから先に読もうと思ったのだが、オタオタしているうちに「幕末史」が去年末に出版されたので先にこれを読んだ。すぐに「昭和史」に手を付けなければ。どんな発見があるか楽しみでならない。
しかしなぁ。永井荷風の以下の言葉は、負け惜しみだけではなく、ある程度真実をついていたのだなぁ。
「薩長土肥の浪士は実行すべからざる攘夷論を称え、巧みに錦旗を擁して江戸幕府を顚覆したれど、原(もと)これ文華を有せざる蛮族なり」「明治以降日本人の悪るくなりし原因は、権謀に富みし薩長人の天下を取りし為なること、今更のように痛歎せらるるなり」
自分の薩長史観に染まりしを嘆く一冊。
この本で軌道修正し、もう一度薩長史観からもいろいろ調べ直して、自分の中での幕末を再構築したくなる。いつする? 現役引退後か?
