ショートフィルム「胡同の一日」
2009年4月13日(月) 8:07:05
数日前のさなメモで「DID」を取り上げたとき、書くタイミングを逸したと書いたが、書きそびれていたことって意外とたくさんある。このショートフィルムについても長く長く書きそびれていた。
鈴木勉監督の「胡同の一日 〜A day in the life of Beijing Hutong〜」。中国題名は「一天在北京胡同」。
2008年ショートショートフィルムフェスティバルで、フェスティバル史上初、日本人としてグランプリを獲った作品である。世界最大の短編映画祭であるフランスのクレルモン=フェラン国際短編映画祭の2008年正式招待作品にもなった。
近代化に揺れる北京を22分間、シンプルかつ鮮やかに切り取った作品だが、現場スタッフは中国人なものの、脚本・監督が日本人(鈴木勉)である。そのせいか近代化を終えた日本人(古いものを壊し続けてきた日本人)からの視点で胡同の風景を描いており、少なくとも我々日本人にはとても感情移入しやすい作品になっている。近代化途上の中国人が観たらどう言うだろう。ちょっと知りたい。
胡同(フートン)とは北京に残る歴史ある細い路地。旧城内を中心に点在する古き良き北京の街並みのこと。オリンピック開催決定を機に北京では一気に再開発が進み、胡同はあっという間にその波に飲み込まれ、消え去ろうとしている。その胡同で代々やってきたある漢方医の物語。周囲の住民たちが立ち退きを始め、患者も減り、ついに閉店を決心した彼の一日を丁寧に淡々と追った作品だ。
街を去る決断をし、代々受け継がれてきた巨大な薬箪笥を売り払うために自転車に危なっかしく括り付け、胡同を走っていく彼。街が消えること=自分の店が消えること、と何の疑いもなく受け止めていた受け身の自分が、自転車で胡同を走っていくうちにゆっくり少しずつ変化していく。ハリウッド映画ならここでわかりやすく象徴的な出来事を入れるところだが、鈴木監督はそれをしない。だから彼の変化がわかりにくい。でも人間ってそんなもんだ。わかりやすく変化なんかしない。2時間の映画だったらわかりやすく端的に描いちゃうところを、たった22分のショートフィルムが逆に丹念に情景をつなげることで周辺から感じさせるやり方を選んだことがボクは面白かった。というか、ショートフィルムならでは、でもある。主題にきっちり寄り添うだけの22分。だからこそ魅力的。
鈴木監督の場面のつなぎ方がなかなかいい。場面場面がフェイドアウトしてつながっていくのだけど、このフェイドアウト時に一瞬とまどうような揺らめきを残す。無くなってしまう街の想い出を惜しむような瞬きをフィルムがする。それが主人公の心の揺れにまでつながっていて、観ているこちらの心まで揺れる。
ラスト、その漢方医は再起を決意するわけだが、その描き方もあくまでも静か。好意を持ち合っている女性との触れ合いも実に静か。こういう映画はハリウッドには受けないだろうなぁと思いつつ、「おくりびと」や「つみきのいえ」と並んで、アカデミー短編映画部門でノミネートされてほしかったなぁと思う。でもまぁ鈴木監督の次作長編に期待したい。
アマゾンでも売ってないので、市販されていないのかも。売ればいいのにな。小さいけど心に残る佳品。
