奇跡的にラッキーなことだと思う

2009年03月30日(月) 8:04:47

昨日のエントリーが「出版>ネットに読める」というご指摘があったので、少し付け加えた。自分としては、こうして毎日毎日サイトを更新していることを含めてネット上での活動の優先順位がめちゃめちゃ高いので、当然も当然に「出版<ネット」なのだけど、「そんなこと言わずもがな」と思って省略してしまったので、確かにそう読めるかもしれない。ただ、出版するとネットとは違う人脈が広がり、ネットの活動とはまた違う視野が開ける。その点は出版する意義でもあるかと。「普通のブロガーにはそんなこと夢の夢」という意見もあろうが、ボクも黒野さんもそんなこと微塵も考えずにネット上に雑文を書いていた。ボクたちも「夢の夢」だった。でも、意外と近いところに「出版」という思ってもみない人生転換があるよ、と言いたかったわけです。伝わりにくかったらスイマセン。

2000年に「週刊金曜日」という雑誌に連載を書いたとき、「本は消える。HPは残る。」というコラムを書いたことがある。HP(ホームページ)という呼び方に時代を感じるね。まぁあの頃はサイトという呼び方もまだあまりされてなかったし、ブログも産声あげてなかったし。で、そのコラム、まとめればこんな内容(元はここ)。

長いスパンで考えればどんな本でも消えてしまう。1000年後に残っている本など(ボクが書いたものレベルでは)まったくないであろう。
その点HPは残る。プロバイダーに少々のお金さえ払い続けていれば、書いたものは未来永劫消えない(たぶん)。しかもデジタルだから、紙が黄色く変色するとかもない。つまり子孫たちさえ少々のお金をケチらなければ、ボクが書いた文章は鮮明かつクリアに残り続ける。
そういう意味において、HPは史上最強のメディアかもしれない。
まぁこれを書いた2000年って、まだネットは海のものとも山のものともつかぬ状態で、かなり「ネット擁護論」として肩肘張っている部分はある。デジタルデータも未来永劫は残らない。紫式部の例でもわかるように、紙の方が長く残る可能性もある。ただ、編集者のハードルを越えなくてもいいネット上のさりげない書き物が、編集者の厳しい目に淘汰され生き残った作家たちの本と同等かそれ以上の確率で「残る」のは確かだと思う(残す意志さえあれば)。

もちろん長く残ったからって読んでくれるヒトはいないだろう。
でも何かを残したい無名の生活者にとって、出版よりネットの方がすぐれたメディアであることは確か。良くも悪くも「商品」にしないといけない本と違って自分の思い通りに書けるし、子孫が読んでくれることもあるだろう。数百年後に誰かが検索して偶然サイトの中の一文に引っかかったりすることもあるかもしれない。そういう意味も含めて、ネットとかサイトとかって史上最強のメディアだと今でも思っている。

昭和の大流行作家である源氏鶏太や獅子文六の本はもうほとんど本屋では売っていない(古本屋を除く)。国民的作家だったらしいのに、ほとんど読まれていないし、「げんじけいた」「ししぶんろく」と入力しても変換すらされない(by ATOK2007)。そんなことを思うとき、無名の生活者が発信でき、それを長く残せる「ネット」の有り難さを再確認し、シアワセな世の中に生まれたもんだ、と思ったりする。

というか、「言論の自由」が(日本の法律上でカタチ的に)獲得されてから、まだたった数十年。いろんな血の歴史の上にこのシアワセは立脚している。毎日普通に使っているネットだけど、ホント、奇跡的にラッキーなことだと思う。

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