週刊金曜日連載コラムより

2000年2月〜3月、8回に渡り、雑誌「週刊金曜日」(広告をとらないオピニオン誌。「買ってはいけない」で話題になりましたね)の「本のひろば」にコラムを連載させてもらいました。
ここではそれを再録したいと思います。毎回たった550文字のコラムだったので、ちょっと苦しげですが・・・。

ちなみに各回のテーマは、
  1. ホームページ出身ライター
  2. タダで読める文章にお金を払うか?
  3. ホームページ文体(1)
  4. ホームページ文体(2)
  5. 本は消える。HPは残る。
  6. 時間を共有する新しい文学の誕生
  7. 文章を読む子供時代から、文章を発信する子供時代へ
  8. 文学配信の可能性

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第一回【ホームページ出身ライター】(週刊金曜日2000年2月11日号)


 ボクは一応「ホームページ出身ライター」ということになるのだと思う。個人ホームページ(http://www.satonao.com/)の奥の奥で細々と書いていたさぬきうどん旅行記がコスモの本という出版社の社長の目に止まり、「うまひゃひゃさぬきうどん」という本になったのが文筆活動のきっかけだからである。ホームページ(以下HP)では確かに好評であった。が、本にするとなるとまた話は別であろう。いいのか、社長? しかも話があった時はまだその旅行記は未完であった。大丈夫なのか、社長? 出版不況でヤケになってないか、石田社長!?

 喜ぶよりも心配になったボクであったが、予想に反しその本はそれなりに売れ、その後もHP内に書いていた沖縄エッセイを元に「胃袋で感じた沖縄」という本を出したり、HP内でやっているレストラン評をきっかけに新聞連載コラムを持たせてもらったり、と、予期せぬ活動が続いている。インターネットを始めたことがこういうカタチで人生に影響を及ぼすとは、当初は想像もしていなかったのだ。うーん。人生何があるかわからんねぇ。

 ところで、HP出身などという話をすると、「HPでタダで読めるのにお金払って本を買う人がいるんですか?」とよく聞かれる。もっともな質問だ。これについては来週書かせていただこうと思う。

第二回【タダで読める文章にお金を払うか?】(週刊金曜日2000年2月18日号)


 さて、「ホームページ(以下HP)でタダで読めるのにお金払って本を買う人がいるんですか?」というご質問である。

 人によっても内容によっても違うと思うが、「HPで読んで気に入ってくれた人は本も買ってくれる」というのが実感である。もっと言うと「HPに掲出していることで売れることはあっても売れないことはない」と言ってもいい。

 これは、ほぼ全文をHPに載せている「うまひゃひゃさぬきうどん」が発売1年以上経てまだ売れ続けていることでもわかる。「HPで読んでましたが、本も買いましたよ!」というメールをたくさんいただくことでもわかる。逆にHP掲出度が少ない「胃袋で感じた沖縄」はいまいち売り上げが伸びないので、急遽、その何割かをHPに掲出してみた。そうしたら「面白かったので本も買いました」というメールが届きだし、本が動き出した模様だ。

 うーん。どうやら本好きの人はHPを立ち読み感覚でざっと読み、面白そうだったら本を買う、という行動をとっているようだ。もちろんHPで読んで面白かったけど、本は買わない、という人もいる。でもそういう人はもとから「本を買わないタイプの人」なのだ。

 まぁボクの二冊は実用性が高い本、ということもある。小説なんかだったらどうなのか、はわからない。でも毎日届くメールの手応えから見るに、HPが本を買うきっかけになっているのは確かである。

第三回【ホームページ文体(1)】(週刊金曜日2000年2月25日号)


 当然のことだが、ホームページ(以下HP)はパソコンの画面で読む。紙に印刷されたものより格段に目が疲れるし、寝転がって読むとかが出来ない。モニターの前に座って読むのが基本なのだ。そのうえHPの文章は行間が詰まっていて読みにくい。いまは新技術で行間を広く指定できるようになったが、ちょっと前まで行間は詰まっているのが当たり前だったのである。

 モニター前に座って目を酷使しつつ行間の詰まった文章を長時間読むのは苦行そのものだ。そのうえ文章が難解だったり漢字が多かったりすると読者は速攻で去っていく。だから例えばモニター上で読む行間の詰まった小林秀雄なんてそりゃもう地獄なのだ。難解複雑かつ漢字だらけ。改行も少ない。そう、少なくともHPにおいては「小林秀雄の文章は悪文の見本」なのである。

 そんなこともあって、ボクはHPで長文を書くに当たってふたつ決め事をしている。漢字を少なくすること、読む速さで頭に入る文章を書くこと、のふたつである。小林秀雄的文体に対して言うなら星新一的文体であろうか。まぁそういう文章を書くのは実に難しいことなんだけど、そうでないと読者は最後まで読んでくれないから出来る限りそうしたいと思っている。で、そのうえでボクはもうひと工夫しているのであるが、それはまた来週書こうと思う。

第四回【ホームページ文体(2)】(週刊金曜日2000年3月3日号)


 ホームページ(HP)で長文を読むとき、「モニター上で読まないといけない」「行間が詰まってしまう」という以外に個人的にもうひとつ重要視している特徴がある。それは「スクロールして読む」ということだ。本ならページをめくることで文章が展開していく。ところがHPではめくるという行為がない。ズラズラだらだらと下に続いていく文章をスクロールして読んでいかないといけないのである。

 ページをめくるという区切りがないと、なんというか読書の句読点みたいなものがなくなってしまうのだ。息継ぎなく平泳ぎする感じ。リズムが出ずやたら長文に感じられたりする。そこで取り入れた解決策のひとつは「空白行の多用」である。改行した後、何行か空白にしてある種文章のリズムとしてみたのだ。スクロールの場合、下から文章がせりあがってくるから、展開のタメにもなるしギャグのタメにもなる。使いなれてくるに従ってこれは手放せなくなった。HPに最適なのだ、この空白行というヤツは!

 漢字を少なく、(なるべく)読むスピードで頭に入る文章を書き、空白行と多用する…それらをひっくるめてボクは勝手に「ホームページ文体」と呼んでいる。まぁそんな大仰なものでもないのだが、紙の媒体である本とはひと味違う工夫が必要なのは確かなのである。

第五回【本は消える。HPは残る。】(週刊金曜日2000年3月10日号)


 ホームページに書いた文章がはじめて本になったのは1年半前(「うまひゃひゃさぬきうどん」)。幸いにもまだちらちら売れ続けているらしいのだが、さすがにその本を置いている書店はもうほとんどない。書店で探すたびに非常に寂しい思いをするのである。苦労して書いたのになぁ、もうすぐ誰の目にも触れられなくなってしまうのね、あ、古本屋さんで見られるかな、でもなぁ…。

 こうなってくると売れる売れないよりも、一人でも多くの人に読んでほしいという思いが強くなってくる。書いたものが消えてしまうのはつらいのだ。でも、長いスパンで考えればどんな本でも消えてしまうよね。1000年後に残っている本など(ボクが書いたものレベルでは)まったくないであろう。うーむ。

 その点ホームページ(HP)は残る。プロバイダーに少々のお金さえ払い続けていれば、書いたものは未来永劫消えないのである(たぶん)。しかもデジタルだから、紙が黄色く変色するとかもない。つまり子孫たちさえ少々のお金をケチらなければ、ボクが書いた文章は鮮明かつクリアに残り続けるのである。

 本は消える。HPは残る。

 そう思い至ったとき、ボクの中でHPの重要度はめちゃめちゃ高まった。HPはひょっとしたら至上最強のメディアかもしれないのである。

第六回【時間を共有する新しい文学の誕生】(週刊金曜日2000年3月17日号)


 ボクがホームページ(HP)を始めた頃はまだインターネットはアマチュアの天下であった。手段を持たなかった普通の人たちが発信を始めた新しい表現の場だったのである。自分の日記をHPに載せるのも流行った。手軽であったのもあるが、このウェブ日記という分野は実は非常な可能性を秘めている。「時間を共有する新しい文学」誕生の予感がするのである。

 日記というジャンルは文学にもある。が、HPだとそこに「即時性による時間の共有感」という要素が加わる。例えばニュースを見てすぐに所感を書いた日記を出す。と、同じニュースを見た読者がほぼ同時にそれを読み、強いカタルシスを感じるのだ。時間の共有感が日記文学にプラスされるわけである。

 この「時間の共有感」は、いままでにない文学カタルシスである。同じ季節、同じニュース、同じ夜などを同時に共有していることによって得られるカタルシスは、小説が四苦八苦して表現してきた同時代的共感を軽く凌いでしまうのだ。

 いま、文学を載せているHPはわりとある。でも印刷物に載せても一緒なものをそのまま載せているだけのものが多い。もし「時間を共有する新しい文学」が登場すれば、文学は確実に時代に追いつき、時代を変えるだろう。ちょっとそれを模索してみたいボクなのである。

第七回【文章を読む子供時代から、文章を発信する子供時代へ】(週刊金曜日2000年3月24日号)


 子供の活字離れが叫ばれて久しい。本を読まなくなったというのである。まぁ確かに、テレビからゲーム、ネットまで他に楽しいものがたくさんあるのだから相対的に本に割く時間は減っているだろう。でも本当に「活字離れ」は進んでる? それどころか子供達は昔より活字(文字)に親しんでいない?それも発信者として。

 小学校低学年でもメールの利用が進んでいる。ホームページを持っている小学生も多い。童話や伝記を受け身に読むだけだった彼らが(いい悪いは別にして)とにかく文字を使って発信を始めているのである。授業で作文を書かされるのがせいぜいだった彼らが、どんどん文字を操って人に思いを伝え始めているのである。中高生だってそうだ。ほら、渋谷の町を闊歩するヤマンバだって、携帯電話でメールを打っているでしょ。確かに本は読まないかもしれないが、みんなどんどん文字を使うようになってきているのである。

 回りをよく見てほしい。発信者としての「活字中毒者」が日々増えているのである。小さな時からメールやホームページで文章を書き慣れていれば、日本人全体の文章力はそれなりに底上げされるだろう。ひょっとして20年後には、発信しなれた手だれの作家が林立するかもしれない。楽しみじゃない? ボクはとっても楽しみだけどなぁ。

第八回【文学配信の可能性】(週刊金曜日2000年3月31日号)


 ネットでの音楽配信が話題である。好きな音楽をインターネットから1曲単位で安く購入することが可能になるのだ。こうなるとネットでの「文学配信」が楽しみだ。1500円払って短編集を一冊買うより面白そうな題名の短編を100円とかでひとつ買える方がうれしい場合もあると思うのだ。例えば全集でしか読めない昔の作家の短編エッセイなんかが、一編100円くらいで読めたらうれしくない? 支払方法が手軽になったら若者もきっと買う。作家の収入も増えるかも。

 また、好きな作家の連載エッセイが自分のパソコンやケータイに直接届いても楽しいよね。現在、連載は週刊誌や新聞などを介して読者に「配信」されているけど、それが個別に配信される時代が来る気がする。ネット配信はそういう可能性を広げてくれるのである。

 え?せっかく配信されてもモニターだと読みにくいって? うーん、将来的にはたぶんモニターの方が読みやすくなると思う。字の大きさや色、書体を自由に変えられるだろうし。特に老人にはモニターの方が楽になるのではないだろうか。

 …ということで、ネットでの本の未来について毎回書いてきたけど如何でした? 今回でボクの連載もおしまい。今後は個人ホームページ(http://www.satonao.com/)でぜひお会いしましょう。




毎回少ない字数でちょっと大きなこと語ろうとしているので、ちょっと突っ込み不足の気はするけど、手直しせずに出しておきます。
また、ネット初心者のオジサンでもわかるように書こうとしているので、ネットに慣れた人には「当たり前じゃんよ」の内容も多々あると思うし「オーバーすぎない?」な部分もあると思う。
「週刊金曜日」というオピニオン誌だったこともあって、問題提起を主目的に書いたんだよね。だから確かにそういう部分はありますね。多少割り引いて読んでください。


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