さなメモ(毎日更新)
アドリブ系の講演
2008年10月14日(火) 8:50:52
先週も講演がふたつあったのだが、両方ともアドリブ系でやってみた。
ひとつはテレフォン・ショッキング形式。
つまりタモリ役がいて、ボクにインタビューをしてくれる。ボクがアドリブでいろいろ答える。それを聴衆が聞いてくれるパターン。いつもガチガチに構成したパワーポイントを作って、それを映し出して講演するボクにとって、これはあまりないパターン。最初は不安だったのだが、パワポでの一本道じゃない分、アドリブや周辺のイイタイコトなどを自由に織り交ぜたり会場の空気に合わせて話題を変えていったりもでき、一本道の講義よりずっとカジュアルでくつろいだ会となった。
あれ? オレ、意外と話せんじゃん。
それが正直な印象。しかも意外と楽しい。
で、ふたつめの講演も時間が短かったこともあり、アドリブ系にしてみた。
パワポは作ったが、「不況→広告費削減とならないために」「マス広告だけではなぜダメなのか」「クロスメディアという言葉の罪」「イマなアイデアの出し方」「言うは易し、消費者本位」みたいに、一枚に一行、テーマを次々提示するのみ。そしてそのテーマに沿ってアドリブで話していくのだ。これも初めてのパターンだったんだけど、意外といけた。カジュアルな形式だから会場からの質問も自然と盛り上がり、こちらも答えやすかった。
って、いままでどうやっていたのだ、と思う方もいるかもしれないけど、アガリ症でしゃべりが下手だった(もしくはそう思い込んでいた)ボクは「パワポで完全に構成された講演なら話せるけど、アドリブ的に話していくのは死ぬほど苦手」と思い込んでいたのである。
この苦手感覚は話し下手しかわからないかもなぁ。講演直前までは普通にしてても、演壇にのぼって聴衆の顔を見ると急に緊張してくる。うぅこれはイカンと思って緊張したまま冒頭のジョークを言う。噛む。会場はシーンとしている。わき汗がドー。そしてしどろもどろになってしまう……あの頭が白くなる感覚…。ただパワポがあればすぐ一本道に入ることができ、適当に盛り返せるのだ。アドリブだとどんどんしどろもどろが深くなるだろう。
でもここ半年の多量の講演体験で、いつの間にか(少なくとも広告コミュニケーションというテーマでは)意外と最初から自由に話せるようになってきた。すべて場馴れのおかげ。話しなんて急にうまくなるわけではないが、場馴れすると少なくとも冒頭がスムーズになってくる。冒頭がうまくいけば後は大丈夫。普段の口調でにこやかに話せる。時には会場を掴める。講演は冒頭次第なのだなぁ。
と、このふたつのプチ成功体験(?)を思い浮かべて、明日(ついに明日!)の新聞大会のイメージングをする毎日。うまくいくぞうまくいくぞうまくいくぞ ←オーム真理教方式
モノではなくコトを贈る
2008年10月13日(月) 6:46:07
8月末にイタリアに行き、漫画家ヤマザキマリさんの旦那の実家である「モーレツ家族」の家に数日泊まらせていただいたのであるが、帰国してから「さて御礼をどうしよう」と悩んでいた。
とりあえず手紙を書こうと思ったが、考えたらイタリア語の手紙など書けない。あちらも英語は不得意であるから英語もダメ。じゃあ食品かとなるが、これは行くときにお土産である程度持って行ってしまっており、なんか工夫がない気がする。
うーむ…。
悩みつつ、そこで過ごした楽しい日々を写真を見ながら懐かしんでいるうちに、「そうだ! モーレツ家族と過ごした日々を写真集にして贈ろう!」と思い立った。
いまではネットにいろいろ写真集サービスがある。
これを利用して小冊子を作ることにした。
選んだのは、Photoback。
サイト上でちょちょちょと作って発注ボタンをポンッ。1週間後には素敵な写真集が出来上がった。1冊1890円。イメージより小さいが慣れると逆に可愛い。(表紙の写真:モーレツ家族でのパーティ風景)(ピクニックの写真:みんなでドロミテ渓谷に出かけたのだ)
イタリアのモーレツ家族、そしてポルトガルのマリさんのところに送った。
マリさんのところには着いたらしく、ブログにアップされていた。ウケたようで良かった(ホッ)。
モノではなくコトを贈るって、いいかも。
海外や国内でお世話になった人に贈るとき、これからも活用しよう。
「風のガーデン」と「YOSAKOIソーラン祭り」
2008年10月12日(日) 8:14:41
倉本聰の新ドラマ「風のガーデン」を録画で見た。
富良野三部作最終章。
先日亡くなった緒方拳が普通にしゃべって普通に動いているのが不思議。遺作になるのかな。さなメモでは書く時期を逸したが、とても好きな役者さんだった。まぁこの人を嫌いな人はあまりいないと思うけど。いい作品にいっぱい出ているが、北林谷栄とがっぷり組んだ映画「大誘拐」がなんとなくすぐ頭に浮かんだ。あれはポスターが特に良かったな。
さて「風のガーデン」。
内容はともかく、途中で「YOSAKOIソーラン祭り」の話題が出てきて、一応セミファイナルの審査員であるボクとしてはオッと身を乗り出して見ていたのだが、なんだかいろいろ結びついておかしかった。
まず、脚本の倉本聰は「YOSAKOIソーラン祭り」ファイナルの審査委員長である。
ここで軽く説明しておくと、YOSAKOIソーラン祭りはチーム演舞の審査があり、一次審査で10位までに残ったチームがファイナル審査に進め、そこで優勝を争う。11〜20位はセミファイナル審査。ボクはセミファイナルの審査員だ。
倉本聰はファイナルの審査委員長を長く務めた。去年は名誉審査委員長になり審査には直接参加しなかったが、相当長く審査委員長をやっていた。
だから「あぁ北海道を盛り上げようとがんばっているこの祭りを励ます意味もあるのだろうなぁ」と思いつつ見ていたら、「旭川 北の大地」というYOSAKOIソーランでは有名なチームの一員として黒木メイサが踊っている場面が…。そうか〜リアルなチームを出してきたか〜、とか。でも「北の大地」というチーム選択はなかなかいい線ついてるな、とか。
そういえば、黒木メイサって去年、ファイナルのゲスト審査員だったなぁと急に思い出した。
なぜ突然黒木メイサがゲスト審査員?って驚いたのをよく覚えている。そこそこ売れていたけど、まだみんながみんな知っている存在でもなかったので、ゲスト審査員に何故呼ばれたのかがいまひとつわからなかったのだ。
いや、それどころか主演の中井喜一もゲストで来ていて審査員席に座っていた…(ただのゲストで審査には参加していない)。つまりこのころからこのドラマの脚本も配役も出来ていて(実際、ドラマに出てくるブリティッシュ・ガーデンは2年がかりで作られたというし)、打ち合わせなども行われていて、審査委員長である倉本聰のツテで彼らがゲスト審査員になったのかも、とか、いろいろ裏読みしながら見続けたのだ。
そうこうしていたら、黒木メイサ(白鳥ルイ役)に取材が入る場面で異様に通なセリフが(笑)
「ルイ、yosanet から取材!」だって。yosanetというのはYOSAKOIソーラン祭りのサイトを運営している株式会社だ。なんと通なセリフだ。わかる人、全国に数百人しかおらんぞ(笑)。しかも重要登場人物の名前が「岳」。←これはわかる人だけわかってくれればいいのだけど(というか一般的な名前なので偶然かもしれないけど)、それにしても倉本先生(面識はないけど)、いろいろ知ってるボクには妙に面白かったけど、えらくマニアックな脚本です!
ラスト挿入歌であるショパンのノクターンを聴いて、急にショパンが聴きたくなって、クレルに灯を入れアポジーを鳴らす。夏は暑くてアンプに灯を入れられない(アンプが暖房のように熱くなるから)。秋になりようやくメインシステムで聴けるようになった。平原綾香が歌うノクターンは何番だ? やはり遺作のヤツか、とか探しながら。
それはそれとして、YOSAKOIソーランといえば札幌。
札幌といえば、しあさっての新聞大会(笑)
パネル・ディスカッションのお励まし、たくさんありがとうございます。
特に新聞業界の方々からの「緊張する必要ないですよ。なぜならね…」という内部タレコミ的励ましは心強かったです(笑)。パネリストやコーディネーターをやったことがある方からのノウハウ・サジェスチョンも有り難かったです。
というか、パネリストは初めてではなく、2回目なのをいま思い出した。1回目はYOSAKOIソーラン祭り参加者フォーラムだった(笑)。あの時の聴衆は600人。話の内容がわりと受けて、客席から拍手が起こったのだった。そうだ、あのプチ成功体験を思いだしてイメージングしよう!
なりふり構わず「伝えて、売る」
2008年10月11日(土) 14:00:07
強烈な世界同時株安で一気に経済がシュリンクしそうな昨今。
あえて(あえて、ね)脳天気に「広告のコミュニケーション・デザイナー」として発言をすると、テレビCMや新聞広告がふたたび盛り返すようになるのではないかと思っている。広告費の落ち込みで苦況に陥っている両業界だが、不況感が蔓延するとヒトは家を出なくなる。行動を控え守旧派的になる。お茶の間にタダで流れてくるエンターテイメントであるテレビ、そして黙っていても宅配されてくる新聞をいつもより見るようになるのは確か。
まぁ単純な発想だけど、家にテレビがあり、新聞もとっているという前提に立つと、お茶の間がもう一度機能し始める可能性はわりとあるんじゃないかな。そこにどんなコミュニケーションをとっていくか、それを考えるとちょっとワクワクする。
というか、ボクを含めた広告マンは、いまこそ「広告で商品が売れた!」という事例をたくさん作るべくがんばらないと、この業界は一気にシュリンクしてしまう。ただでさえも広告が効かないと言われ始めて数年、この不況の風はそこに追い打ちをかけてくるだろうし。
広告で売る。そのためには変化した消費者(生活者)に合わせて、広告手法自体が大きく変わらなければ無理。イメージがどうの、ブランディングがどうの、ではなく、今は自覚的に「広告で売る」というゴールを設定して、なりふり構わず「伝えて、売る」ということをやらないといけないと心底思う。まぁその辺、拙著にもさんざん(ポジティブに)書いたが、なんかまだまだみんな危機感なさすぎな気がしてならない…。
ちなみにボクの企画書はこのごろ「○○(商品名)を○○億円売るために、我々がお手伝いできること」みたいな表題が多い。題名でゴールを明確に金額で設定して、そこに向かって細かくコミュニケーション・デザインしていく。広告の範疇ではないことまで言及していく。データと首っ引きで試算して作り上げていく。
そんな企画書、クリエーティブ部門っぽくないと思うかもしれないし、数字も不得意なのだけど、そのくらいな意識じゃないとさすがに生き残れないんじゃないかと、わりと冷や汗かいているのだ。
広告業界志望の学生に会ったりすると背筋が伸びる。
ボクらは彼らに「明るい広告の未来」を見させてあげないといけない。残してあげないといけない。そこをちゃんと自覚したい。
人生でもトップクラスのプレッシャー
2008年10月10日(金) 8:35:37
来週の15日(水)に、人生でもトップクラスにプレッシャーのかかる仕事があり、日々緊張が高まっている。
テンションが上がったり下がったり、人に頼ったり独りを欲したり、異様に元気になったり急に疲弊したり、なんだか気分が乱高下。というかですね、この仕事を言われたのが6月。なんでそんなに早く言うかな。この4ヶ月、ずっとこのプレッシャーと闘っている。
親しい友人にはちょこちょこ愚痴をこぼしているのだが、違う業界の人にはこのプレッシャーがわかりにくいようで、理解してくれようとはするもののどこかでピンと来ていない模様。それもそうだろうなぁ。
かといって会社の同僚ならわかってくれるかというと、ボクの周りのクリエィティブ部門の人間はピンと来ない様子。まぁボクでも他人事だったらピンとこないかも。だから気楽な気持ちでその仕事を受けてしまった。受けたあと、いろんな説明を聞いているうちに「こ、これはひょっとしてオオゴトなのでわ!?」とびびりまくった次第。
実は新聞業界の仕事(依頼は新聞協会より)なのだが、どうやら新聞業界ではその年最大のイベントで(その名も「第61回新聞大会」)、うちの会社のその部門の人間に話すと一瞬絶句した挙げ句「そ、それは……地獄だなぁ」と憐れんでくれる。そんな類のプレッシャーなのである。
新聞大会というのは、よく知らなかったのだが、全国の中央紙・地方紙の社長・副社長・専務クラスが年に一回一同に会し、新聞のあれこれについて話し合う、というイベントである。地方の持ち回りで、今年の開催は札幌。大会式典は尾高忠明指揮による札幌交響楽団の演奏から始まる。そういう大イベントなのである。
ワタクシに課せられたその仕事とは、その新聞大会の壇上でパネル・ディスカッションをする、ということ。日本語で言ったら座談ですね。
座談といっても3時間を超える長丁場。聴衆は日本の新聞社全紙の社長・副社長・専務クラスがズラリ(日本の新聞社はこんなにある)。全員スーツの大観衆だ。んでもって、座談相手の4人(ボクを入れて5人で座談)がこれまたみな社長さんなのである(!)。朝日新聞社社長、新潟日報社社長、西日本新聞社社長、そして司会は北海道新聞社社長。そこにボク。一介のクリエィティブ・ディレクター。なぜボクがその場にいないといけないのか、いまだに理解に苦しんでいる。
講演と思ったのでまぁなんとかなるかと引き受けたのだが、座談と知ったのはちょっと後。座談はまったく未知数だ。壇上でアドリブがきかないタイプなので不得意分野。というかパワポなしでなんかしゃべれないよ。しかも相手は社長様たち。新聞業界素人のボクにいったい何を望んでいるのか。まぁ当日聞かれる話題についてはだいたい教えてもらっているので予習はできるし、素人だからこそ出来る発言もある。それにしても、んー、困った…。
たぶん拙著「明日の広告」でメディアの明日をポジティブに書いていることが人選のキッカケだと思うので、当日は超明るい話をしようとは思っているが、それにしても、座談相手が座談相手、聴衆が聴衆。しかもうちの会社の社長・専務・常務・局長クラスまでみな来るという。あー胸が痛くなってきた(←数週間来の胸の痛みの原因はこれかも)。
乗り越えるべき山が高ければ高いほど、乗り越えた後は違う風景が見える。
もともとアガリ症で話下手のボクにとって、チャレンジし甲斐のある高い山である。でも違う風景が見えるには「乗り越える」ことが前提。頭が真っ白になり、声が震え、大汗かき、支離滅裂な話をしてこの大切な大イベントを台無しにする自分の姿がちょっと想像できる(わぁ)。あぁ逃げ出したい!
札幌ではモリが脳天気に「飲みましょうねぇ!」と待ってくれているが、ごめん、前日夜とかに飲んだらプレッシャーから深酒しちゃいそうだよ。あ、二日酔いくらいで行った方が逆にアガらないかも。いやいややっぱりそれはダメだ。んー……また胸が痛くなってきた(笑)
シーシュポス
2008年10月09日(木) 12:51:10
ターミナルケアに従事する医師と、ある宴席で隣り合い、少し話を聞いた。
「ボクたちの仕事のゴールは、相手の死なんです」と淡々と話される。本来、相手を治すのが仕事なのに、治さずに見送ることが仕事となる矛盾は、最初彼を悩ませたという。相手の死がゴール。いったい達成感はどこにあるのだろうか。
いまではその辺は吹っ切れたとおっしゃっていたが、なんかその人がシーシュポスに見えた。
もちろん、その仕事が徒労に近いのだと言いたいわけではない。患者の笑顔、家族の安心はなによりの糧だろう。でも、なんというか、自分が患者のために積み重ねた時間が、患者の死とともに無に帰す感覚が、どこか、苦労して岩を山頂まで押し上げたあげく、岩が転がり落ちてはじめに戻る、という「シーシュポスの神話」の不条理さを思い起こさせる。
自分の努力や苦労、喜びや悲しみ、そして毎日の営みが、相手の記憶が消滅すると同時に消えてなくなってしまう感じは、老夫婦の片一方が亡くなったときの、残された人の絶望によく似ている気がする。
残された人で自殺する人がいるが、あれは愛した人を亡くした悲しみというより、相手の中に長く長く積み重なった自分の時間そのものの消滅を絶望するのではないだろうか。
人生は、肉体の死のあと、自分のことを覚えている人がひとりもいなくなった時点で本当の終わりを迎える。
次々亡くなっていく患者たちを見送ることは、彼らに記憶された自分の時間の消滅を見届け続けることでもある。それにボクは耐えられるのかどうか。ちょっと頭の中でシミュレーションしてみただけで、したたかに悪酔いしてしまった昨日の夜更け。
風呂に入るのは午後9時36分
2008年10月08日(水) 8:16:45
昨日ノーベル物理学賞をとった3人のうちのひとり益川敏英教授は、時間を決めて行動するのが好きだという。出勤時間は毎朝午前8時2分、風呂に入るのは午後9時36分と決めていた、というのである。
出勤が分単位で決まっているのはよくわかる。電車の都合とかもあるだろう。うちの子も「6時47分にNHK街角情報室のテーマ音楽が流れるときに家を出る」と決めていて、まぁ分単位だ。でも、風呂が分単位で決まっているのはユニークだなぁ。午後9時36分。なぜ36分? どうせなら9時31分にすれば、ク・サ・イという語呂合わせで風呂っぽくなるのに(アホか)。
とはいえ、この「時間を決めて行動する」というのは実はよくわかる。
日常をあるサイクルで「自発的に」律すると、日常の生活が自分のペースで習慣化され、ものを考えたり継続して執筆作業をするときなどに好都合なのだ。この「自発的」というのが大事。「風呂に入るのは午後9時36分」と自分で決めることで、他人の都合に影響されず自分本位で動くことが出来る。他人の予定がどうであれ、午後9時36分には風呂に入る、と決めて、自分のペースをキープするわけだ。
ボクも本を書くときなど、日々の習慣化は意識する。他人の都合に合わせて日々を生きてると執筆なんてとても出来ない。テンションの維持もできないし集中力も続かない。サラリーマンは他人(クライアントとか上司とか)の都合に合わせて日々の動きが決まる職業だからそれがかなり難しい(事務職を除く)。本を書くときはそんな中でも出来る限り自分ペースにもっていって習慣化する必要がある。そうしないと、連載をまとめるとかは別にして、長い書き下ろしなんか無理だなぁ(「明日の広告」は書き下ろしだった)。
まぁ益川さんみたいに分単位は難しいけど、もう少し自分のペースで日々を律して生きないと、クリエィティブな社外活動なんかできない、と反省しつつ、今日も明日も他人のペースで生きていくのが決まっている。来週も再来週も。今月も来月も。どっかでこの連鎖を断ち切って集中せねば。




