「弁いち」さんのおせち
2009年1月 2日(金) 8:35:33
雲もなく風もない暖かい元日。
おせちは昨年同様「弁いち」さんのをいただいた。
お重を開けると全体に茶色くて、派手で美しい料亭のおせちには見劣りするんだけど、この飾り気のなさにこそ有り難みがある。美しい既製品使いのおせちが多い中、いちから地道に丁寧に手作りしていったことが感じられる料理群。大量生産ではないからこそ出せる味が詰まっている。
「弁いち」さんは浜松にある割烹である。サイト上で1999年から長く続く板前さんの日記を、その初期の頃から毎日のように読んで、「こういう人が作る料理を食べたい」と思ったのがご縁の始まり。浜松は遠くてなかなか行けなかったが、ようやく一度だけお邪魔でき「料理って作った人を食べることなんだな」という実感を持った。あの頃から料理や料理店に対する見方が大きく変化していった。そのきっかけになった店でもある。
一軒家ではあるが、こぢんまりした店である。
そんなに広くないであろう厨房で、そんなに巨大でないであろう冷蔵庫を駆使しながら、数多くのおせち料理を一品一品丁寧に作ってくれているのが目に浮かぶ。西麻布の「眞由膳」さんもおせちをするらしいのだが、彼女によると「冷蔵庫のスペースが足りないので、店の暖房を切って、寒い厨房でダウンジャケットを着て作ります」とのこと。「弁いち」さんもそうやって作ってくれているのかもしれない。作る品数が多いから段取りとかも大変だろう。大晦日の夜ぎりぎりまでそうやって作ってくれる有り難さ。
もちろん対価は支払っているが、そういう料理人の料理って等価交換以上のものが入っている。素材費や技術料だけでない「その人の想い」みたいなもの。特におせちって、味を楽しむというよりは、そこにかけた時間とか手間とか願いとかを味わうものだ。そしてボクはこのおせちからそれが感じられる。
時間とか手間とか願いとかを味わうという意味では、家でおせちを作らなくなったのは大きな出来事かもしれない。母親たちがおせちにかけた時間とか手間とか願いとかを家族で共有する場がなくなった。お正月が「願い」の場ではなく、単なる「イベント」に変わったのはおせちを作らなくなってからだろう。
祖母が死に、その技を受け継いだはずの母も老いて「もう作るのはしんどい」と言いだし、急に途絶えた。一品二品ならまだしもお重を埋めるほどのおせちを作るのは重労働だ。数人がかかりっきりにならないと無理。妻ひとり奮闘しても難しく、そもそも彼女も年末ぎりぎりまで働いている身である。数年粘ったが、いつしか自然とおせち作りは途絶えてしまった。
中2の娘にはせめて時間・手間・願いがこもったおせちを、と、作る人そのものが感じられる「弁いち」さんのおせちをお願いしてきたが、お店のサイトで年頭に明らかにされているように、「発展的に店をスリムに」されるようである。ボクと同じく「ダウンサイジング」が今年のテーマのようですね。シュリンクするのではなく最適にしていく感じ。その辺の志向も似ていて好ましいのだけど、おせちを買えるのはこれで最後かも。
よく味わって、いただいています。
ありがとうございます。