パリ国立オペラ 初来日公演「トリスタンとイゾルデ」
2008年7月28日(月) 6:58:25
昨晩は渋谷オーチャード・ホールにてオペラ観劇。パリ国立オペラの初来日公演。演目はワーグナーの「トリスタンとイゾルデ」であった。
率直な感想としては「世界のトップとはスゴイものだな」。
いや、こんなに冷静ではない。もっと率直に書くなら「いや〜良かった! 素晴らしい!」かも。いままで見たオペラの中でトップかなぁ。NYで観た「アイーダ」や去年観た「パレルモ・マッシモ劇場」、一昨年観た「シュツットガルト歌劇場」の「魔笛」なども印象的だったが、今回のはいろんな意味でそれらを越えるかも。
かなり斬新な「トリスタンとイゾルデ」だった。
舞台はセットなし(台がひとつ)。衣装も黒ずくめのシンプルなもの。そういう意味では超地味な舞台なのだが、舞台の背景に大きなスクリーンが掲げられ、4時間の上映中途切れることなく映し出される映像がものすごかった。ビデオ・アート第一人者と言われるビル・ヴィオラ。ハイスピードの長回しを多用したそのビデオが予想を超えて素晴らしく、魂抜かれてしまった。映像の持つチカラを最近ここまで実感したことはない。
特に第一幕のずっと歩いてくるシーンや水中に頭から落ちるのを下から撮ったシーン、恋愛の心象風景と思われる囚われの身の一連の表現の素晴らしさ。
第二幕の夜明けの長回しの潔さ(30分近くは回してた感じ)。水中での男女愛の表現。
第三幕の死を感じさせる様々なシーン展開。そしてなにより、魂が天に召されるシーンの落水の逆回転を使った衝撃的なラスト。
決して説明的ではなく、舞台の補完でもなく、独立した芸術として観客の脳内をエキスパンドする映像群。心象風景がある距離感で持って演じられ(舞台上の歌手とは違う人が演じる)、それが舞台上のライブと一体化する。観客は両方のメッセージを受け取り、それを頭の中でブレンドする。頭の中で映像と舞台がどちらも負けずに主張し闘いコラボするのだ。
ボクはドイツ語がわからないので映像に引きずられて観ざるを得なかったが(舞台の両端に歌の日本語字幕は出るが、映像が凄まじすぎて字幕を読む余裕があまりない)、これでドイツ語を理解できていたら、耳は舞台のライブ、目は映像、という脳内コラボ作用が相当激しかったと思われる。あぁドイツ語わかる人がうらやましい。
制作に6ヶ月かけたというこの4時間の映像。
それと闘うパリ国立オペラのスターたちの迫力満点のテノールやバスやソプラノがまた素晴らしい。映像と舞台の両者をつなぐパリ国立オペラ管弦楽団の演奏も印象的。特に前奏曲冒頭。美しかった! というか、完パケの映像と生舞台の両方を合わせる指揮者の苦労がしのばれる。
映像ありきで演出したピーター・セラーズだが、工夫のあとはいろんなところに。舞台とスクリーンとのバランスを考えた演者の配置。第一幕のラスト、客席の後ろからコーラスが大音響で響く演出などさすがに面白い。照明も良かった。なにしろ印象的な映像をちゃんと見せないといけないので、スポットライトをあちこち動かしたくない。そこを逆手にとって陰と陽を上手に使っていた。歌手はスポット当たらないまま、薄暗い中で歌ったりもする。それが逆に効果を上げていた。
まぁでもなんといっても、パリ国立オペラ総裁ジェラール・モルティエがスゴイのだろう。
いい意味でクレイジー。ヨーロッパ・オペラ界の風雲児と言われるのがよくわかる。斬新・異端・過激。こういう前衛が総裁主導で行われているあたり、日本ではまず無理だろうなぁ…。次は映画「ブロークバック・マウンテン」のオペラ化を狙っているらしいが(これまたクレイジー!)、彼がやるなら絶対イイと確信できる。あの名画をどうオペラ化してくれるのだろう。ぜひビル・ヴィオラの映像とのコラボで観てみたい。
備忘録として主要キャストを。
指揮:セミヨン・ビシュコフ
演出:ピーター・セラーズ
映像:ビル・ヴィオラ
衣装:マーティン・パクレディナズ
照明:ジェームズ・エフ・インガルス
トリスタン:クリフトン・フォービス
イゾルデ:ヴィオレッタ・ウルマーナ
マルケ王:フランツ・ヨーゼフ・セリグ
クルヴェナール:ボアズ・ダニエル
幕間の休憩入れて5時間の舞台。
仕事があったので終了後カーテンコールも待たずにオーチャード・ホールを飛び出し仕事場に向かった。おかげで最後の素晴らしい余韻があっという間に消えてしまった。
でも、この「トリスタンとイゾルデ」を体験できたのは、ボクの人生にとって大きかったと思う。「映像」の伝わるチカラを久しぶりに体感した。いや、「映像」単体というより映像を含む「空間表現」かな。胸の奥で何かを掴んだ。いま、わかっているうちに……。焦燥に似た気持ち。
