山田洋次監督の講演
2008年6月 3日(火) 7:25:00
山田洋次監督の講演を聴いた。テーマは「演出について」。
「演出とは何か、何を意味する言葉なのか、いまだにわからない」と語りつつ、ご自分の作品の演出についてではなく、小津、黒澤、ヒッチコックなどの「語り口」について解説してくれた。「それぞれの監督がそれぞれの語り口を持っていて、それは、映画を数分観れば『この映画は誰々のだ』と指摘できるような確固としたものである」と話しつつ、「では、ちょっと観てみましょうか」と巨匠たちの映画の冒頭をスクリーンに映し出す。
なんという贅沢!
だって、小津安二郎の「東京物語」の冒頭をスクリーンに映しながら、1カット1カット、リアルタイムで山田洋次が解説してくれたりするのだ。「このカットはこういう意味があります」「小津の演出の特徴はココです」とか。
で、次に黒澤明の「赤ひげ」を映して小津との違いを語ったりする。その次はヒッチコックの「サイコ」。んでもって黒澤の「七人の侍」。贅沢じゃない??
「七人の侍」というモチーフを思いつくに至る黒澤明の秘めたるエピソードも面白かったが、印象的だったのは講演のラスト。いったん終了したあと、「あ、ひとつ言い忘れた」と、こんなエピソードを話してくれた。
「当時、松竹の若手助監督だった私は、松竹を代表するマエストロであった小津安二郎を恥ずかしく思っていた。なんとも古くさく感じたし、どうでもいいような小さな幸せをじめじめ描いているし。 そのころ封切られた『七人の侍』を観て、これこそ映画だ!と興奮した。黒澤のダイナミックさ、技巧を凝らした演出の妙。小津にはまったくないものだったし、いよいよ彼をバカにした。同じ撮影所としての反発もあったかもしれない。
年月が経ち、歳をとるに従って、小津の凄さがわかってきた。
そんなころ、私は黒澤明と個人的に親しくなり、彼の家によく遊びに行くようになった。
世界の黒沢とは思えないような小さな家で、一人暮らしをしていた黒澤明。門から玄関までたった2,3メートルしかないような普通の家だった。
ある日、確か黒澤明が最後の作品を撮る少し前、遊びに来いと呼ばれたので、玄関を入って「山田です」と名乗ると、2階から、おう、上がってこい、と声がした。彼の書斎は2階にあった。上がってみると彼がなんかのビデオを食い入るように見ている。世界の黒澤が何を見ているんだろう、と見てみると、それはなんと小津の「東京物語」だった。
オレはいますごいものを見ているなぁと思った。
昔自分が憧れた黒澤が、昔自分がバカにしていた小津を食い入るように見ている。そして思った。実は、黒澤明は、こういう小さな幸せを、小さなユーモアみたいなものを描きたかったんだなぁ、と。
そのすぐ後に撮った遺作「まあだだよ」を観て、それを確信したのです。」
こんな話だった。なんだか巨匠が3人、内臓を擦り合っているような話だ。しみじみ聞いた。
その後、会社の先輩と感想を話し合った。
「僕は小津については、少し見解が違うなぁ」と彼は言った。
「小津安二郎って、ダダとかの影響をすごく受けていて、当時世界で最もモダーンな映画を作っているという自負を実は持っていて、あの超モダンさがあるからこそ今でもまったく古さを感じないのだと思う。シュールでしょ、小津の描く日常って。ジム・ジャームッシュが『ストレンジャー・ザン・パラダイス』の中で『今夜はオヅのトーキョー・ストーリーを観に行くんだ!』とニューヨークのスカ青年に言わせてるけど、そこによく現れているんだよ。つまり、小津は当時の東京のバリバリのモダンボーイ。一方の山田さんは文学青年。そこら辺に小津の捉え方の違いが出ている気がするんだよなぁ」
同意。そのとおりだとも思う。
でも、ボクは山田青年助監督の言葉に、やけにリアリティを感じたな。意外と感情レベルではそんなもんだったんだろうなぁ、と。観客側ではなくて、制作側のリアルな言葉としてとても面白かったし、そういう「反発」が若き山田洋次にあったことが微笑ましく、ちょっと彼を好きになったりもしたのだった。
