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すばの細道(3)灰汁 vs カンスイ
「首里そば」でショックを受けたボクたちは、とにかくいろんな店に行ってみることにした。
ガイドブックに載っている有名店から、穴場の店まで、おいしいと言われる店は時間と胃袋の許す限り入ってみた。八重山そば、宮古そば、など、離島によってマイナーチェンジしている沖縄そばもきっちり食べてみた。
で、それらの店を出る時に「ここは灰汁(あく)ですか? カンスイですか?」とさりげなく聞いてみたのである。
結果は驚くなかれ。
9割以上、カンスイ使用だったのである。
「灰汁でつなぐのが沖縄そば」と定義するならば、沖縄県内にあるほとんどの沖縄そば屋は「沖縄そば」の看板を降ろさなければならないだろう。
それと、気がついたのは手打ちの店が非常に少ない事実である。ほとんどが製麺所の麺を買って使っている。そして製麺所はまず100%、カンスイを使用しているようなのである。
いや、それだけではない。本来小麦粉100%であったはずの沖縄そばだが、いまでは卵を使用している製麺所もあるようである。
小麦粉+卵+カンスイ……まるでラーメンそのものではないか!
ひょ、ひょっとして「沖縄そば≒ラーメン」なのだろうか?
そういえばだしも非常にラーメンぽい店が多かった。とんこつと鰹節の透明だしが基本だと前に書いたが、いまやラーメン系とんこつスープ的なものもあるし、鶏ガラや野菜で煮出している店も、醤油を加えている店もある。化学調味料をたくさん入れてる店がまた多いのだ。
つまり非常にラーメンに近いのだ。沖縄そばとラーメンの境目がどんどんなくなって行っているのである。
「でも麺の食感はずいぶん違うわ」
「そうだよなぁ……」
麺の食感だけ取れば、やっぱりラーメンと沖縄そばは別物だ。
成分は似ているのに、なぜなのだろう……?
昔ながらの灰汁を使用している手打ちの店もいくつか行った。「ゆーじ小」「御殿山」「月桃」「岸本食堂」……。
おいしい店もイマイチな店もあった。でもそれらで感じたのは、食感が「首里そば」ととってもよく似ているということである。
「ゴワゴワモチモチホニホニブチッ!だったわよね」
「もちろん店によって多少の違いはあるけど、まぁだいたい似ていたよな」
わからん。
灰汁使用とカンスイ使用で、食感の差は思ったほどないのである。
灰汁とカンスイで食感に違いは出ないということか。
だいたい灰汁とカンスイはどう違うのだ? ほとんど同じものなのか? ならなぜ沖縄ではわざわざ灰汁を使っていたのだ?
そんな疑問たちが胃袋にズズズーンと渦巻いている時、ある店で灰汁そのものに触れる機会があった。
そしてドドドーンと一気に疑問が氷解しだしたのである。
ついに! 灰汁とカンスイの関係が明らかになったのだ。
そのきっかけになった店は「てんtoてん」という変わった名前の店である。
「素敵なお店ねぇ……」
普通はたどり着けない立地である。行き方を聞いても一発で辿りつけはしないだろう。だから観光客とかも少ない。というかまだあまり知られていない店だ。
で、これがまた店っぽくない外観なのだ。看板なんて表札程度の大きさだし、コンクリートの打ちっ放しで壁面に蔦みたいのが這っている。店内もオシャレにしていて、ここは広尾か西麻布かと見まがうようなセンスである。
「首里そば」と同じように靴を脱いで上がる。奥にはテーブル席もあるが、基本的にはあぐらをかいてフローリングの床に座る。他に客はいない。店の人がにこやかに寄ってくる。
「いらっしゃいませー、あら可愛いぼっちゃん!」
「はは。娘ですぅ」
「あら〜〜、ごめんなさいね〜、お嬢ちゃん! おいくつ?」
「よんさい」
スカートを穿いていないときは男の子に間違われる響子である。間違えられるのにももう慣れた。というか、その間違えを話のきっかけに利用している悪い親である。
「きれいなお店ですね」
「ありがとうございますー」
「あのー、ここは灰汁ですか? カンスイですか?」
「灰汁を使ってるんですよ」
よくよくメニューを見てみればわかることであった。
「木灰(もっかい)すば」600円しかメニューにない。つまり、昔ながらの灰汁を使っている麺ですよ、とメニューで主張しているのだ。うーん、なかなか。
でも、「木灰すば」の後に(生麺)と書いてあるぞ。こりゃなんだ?
「それとあのー、ここ、生麺なんですか?」
「はいはい」
「ってことは、注文が来てから茹でる?」
「あ、お時間ありませんか?」
「いえいえ、たっぷり。でも他の店で生麺なんて聞いたことなかったから」
「珍しいかもしれませんねぇ……木灰すば3つでいいですか?」
「はい、お願いします」
優子がすかさず聞いてくる。
「ねぇ、他の店は生麺じゃないの? 例えば『首里そば』とかも」
「うん。たぶん」
「え? じゃ、なに、乾麺なの?」
「いや、茹で揚げておいた麺を使うんだ」
「えー、茹で麺なの!?」
そうなのだ。
一般的な沖縄そばの作り方を簡単に書くとこうなる。
小麦粉に灰汁かカンスイを加えて練って、足で踏む。それから棒などで延ばす。で、麺状に切る……。
うどんなら足で踏んだ後に何時間か寝かすのだが、沖縄そばはいろいろ。20〜30分寝かす店もあるし、一晩寝かす店もあるし、まるで寝かさない店もあるらしい。これは沖縄が暑いからというのも関係していると思う。下手に長時間寝かすと痛んでしまうのではないだろうか。
特に冷蔵庫が普及する以前はそうであっただろう。沖縄料理の、なんでも煮込んじゃったり炒めちゃったりする料理法もすべて『痛まないように』という発想からきていると思う。
「ふーん、で、とにかく茹でちゃうわけね?」
「そう。そして、茹で揚げてから油をまぶす」
「油をまぶす?」
「うん。なんか、暑さで痛まないように、ってのと、麺同士がくっつかないように、っていう目的でまぶしておくらしい」
「へー。そういえばスパゲッティも保存したいときは茹でてからオリーブオイルを振るわ」
「そうだよな。沖縄では昔ラードを振っていたらしい」
「ふーん」
「その作業を朝いっぺんにやって置いておくんだって。で、客に出す前に湯にくぐらせて油を抜いて……」
「え〜? 朝から作り置いておくわけ? うどんだったら30分も置くとコシがなくなってダメになっちゃうのに、沖縄そばは茹でてからずぅっと置いておくの?」
「そうらしいんだよ」
「油をまぶすと痛まないのはわかるけど……そんなに置いたらまずいに決まってるわ」
「でも『首里そば』とか、異様にうまかっただろ?」
「……そうよねぇ。不思議ねぇ」
冷蔵庫が普及する前は生麺で出すのは物理的に不可能だっただろう。生麺での保存が出来ないくらいは暑いのだ。そういう意味ではこの「てんtoてん」は灰汁は使っているが、伝統の打ち方ではない。生麺であること自体が個性的なのだ。
ぐだぐだと話しながら10分も待っただろうか、厨房から違う女性がすばを持って現れた。とてもオシャレだ。オーナーかもしれない。オーナーだったら、彼女自身が手打ちしているという話だ。
「はい、どうぞー」
「あ、どうも……あの、オーナーの方ですか?」
「はい」
「あの、生麺って茹でる前の麺ですよね」
言わずもがなのことを聞いてみる。
「はい。ご注文があってから茹でるんです」
「なるほど……味とかはやっぱり違いますか?」
「うーん、どうでしょう。他の店とはずいぶん違うね、とは言われますが」
麺は7〜8ミリの太さ。縮れが強くてかなり白い。縮れさえなければまるっきりうどんだ。そして「首里そば」に比べると、こちらの方がずっと表面も波打ち方も滑らかである。あっちがゴワゴワならこちらはチュルチュル。だしも透明で鰹の香りが非常にいい。こりゃ、かなりの洗練だ。
気合いを入れて、最初の一口。
ズズズ……。
「……こりゃ、どうだ」
「……おいしいわぁ」
「……うまいよなー。いままで行ったどの店とも違う。それに歯で噛むと粘るぞ」
「……そうね、むに〜〜て粘るわね、うどんみたい」
めちゃめちゃうまい。
でも食感がまるで違う。これは沖縄そばなのだろうか? ゴワゴワモチモチホニホニブチッ!ではないのだ。さぬきうどんみたいな粘り方をするのである。他の店はブチッと切れる。それが沖縄そばの特徴だと思っていたのに、まるで覆されてしまう。作り方が違うのか? 灰汁を使っているって? でも灰汁使用の他の店だって、こんな粘り方はしなかった。うーん、つまりどこが違うかって言うと……
「つまり、生麺だから、じゃない?」
「んー、それしかないよな」
茹で揚げて油をまぶして長く置いておく、という部分がないから、ここまで粘るのかもしれない。食感の違いは、そこか……?
一気に食べ終わる。めちゃめちゃ加速度が付くうまさだ。だしがまたうまい。非常にあっさりしていて奥深い。化学調味料もまるで感じられない。そのうえ、具の三枚肉が「首里そば」を上回るくらいうまいのだ。あー、うまい。満足。
オーナーが下げに来た。ちょっと聞いてみる。
「おいしかったです。どうもごちそうさまー」
「ありがとうございます。ぼくもおいしかったぁ〜?」
「娘です」
……慣れてるけどね。
「あ、ごめんなさい。お嬢ちゃんねー。おいしかった?」
「おいしいかった!」
「そう、ありがとう……あっさりしてますでしょ?」
「ええ、すごくあっさり洗練されていてうまいです」
「でも、濃いのになれているお客さんからは『味がない』って言われるんですよ」
化学調味料ドバドバの味に慣れている人にすればそりゃそうだろうな。
「あのー、灰汁を使っているということはかなり伝統的な打ち方なんですか?」
「いえいえ、全く自己流です。ある日ちょっとすばを作ってみようと思ったらこんなのが出来たんです」
「は? ということは、伝統の打ち方とは全く別?」
「沖縄そばって名乗っていいのかもわからないくらいで」
「はぁ? でも、灰汁なんですよね」
「はい。知り合いの陶芸家さんから灰をいただいて、自分のところで灰汁を作ります」
「灰汁だとやっぱりおいしくなりますか?」
「さぁ最初から当然と思って使ってますからねぇ……あ、良かったら灰汁をご覧になりますか?」
「は、はい! お願いします!」
願ってもない。
ついに、ついに灰汁と対面できるのか!
厨房の横に置かれた大きな甕にそれは入っていた。
覗かせてもらうと、底に灰がたまっている。この透明な上澄みが「灰汁」なのだ。
「うちでは灰を入れた水を一回煮て、こうして甕に入れて静かに置いてからまた布で濾すんです。出来るだけ不純物が入らないように」
「はぁ……あれ? 匂いはないんですね」
「そうですねぇ、ほら、触ってみてください。ヌルヌルでしょ?」
「あぁ、本当だ……あのぅ、灰汁を飲ませていただくわけには?」
「は?」
思わず言葉に出てしまった。
あー、たまらん。知りたくてたまらないのだ。灰汁ってどんな味がするんだ? 絶滅寸前の灰汁を味わってみたいぞ!
「はぁ……そういう方は初めてですね。じゃぁジョッキでいきます?」
店員さんや優子が大笑いする。
でもボクはあまり余裕なくてアドリブで返せない。
うーん、それより早く飲ませてみてくれい!
小さなコップに注いでもらう。
口に含む。無味無臭。ぬめぬめする。ちょっと舌の上で転がし、空気を入れてやる。するとプ〜ンと匂ってきた。こ、これは……これって何の匂いだったっけ?
「あの、なんだか、この生臭さって……優子も飲んでみるか?」
「うん………あ、ほんと、生臭い。これって何の香りだったっけ?」
ふたりして頭を抱える。
ええと、これは、ほら、ここまで出ているんだけど、うーん、コラ、ぶつな、だから、えーと食べ物ではなくて、ほら、工事現場とかで、あ、工事現場、そう、あ、こ、これって!
「生セメントの匂いだ !!」
生セメントの匂い。そっかー、灰汁ってこんななんだ。
決しておいしくないものを口に含んでいるのに、ボクは喜悦満面だったに違いない。アホや。
「あれですね、麺からはこういう生セメントの匂いなんてまるでしないですね」
「そうですねぇ、打っている間も匂わないですよ」
「そうか、小麦粉に作用を及ぼすだけなのか……」
「……」
「あの、灰汁とカンスイとはどう違うんでしょう?」
知りたかったことの核心だ。
「さぁ……カンスイは使ったことないですからねぇ。でも灰汁もペーハー値がすごく高いから、アルカリという意味では近いかもしれませんね」
!!!!
そうか、やっぱり近いのか!
考えてみればそうだ。「首里そば」の人はなんと言ったか。「いい灰が手に入ったときは灰汁で打ちますが、普段はカンスイです」って言ったんじゃなかったか。ということは、灰汁で打ってもカンスイで打ってもそんなには麺は違わない、ということではないか!?
灰汁とカンスイは兄弟、なのか!?
その旅行を終えて神戸に帰ってから、思い立って中華街へ行ってカンスイを買ってきた。1.8リットルのペットボトルに入って1000円であった。
「へー、カンスイって売っているの?」
売っている。透明な液体だ。
「にっぽんラーメン物語」(小菅桂子著/講談社+α文庫)によると、もともとは中国の北部に天然の鹹湖(かんこ:アルカリ物質を大量に含む湖)があって、そこの水を使って打った麺は滑らかに延び、切れなかったことからカンスイが広まった、とある。カンスイが小麦粉を収斂させ、締まりと弾力を与えたのである。
驚くのは、洗濯ソーダや重曹で代用してもいい、ということ。成分が一緒なのだ。
戦後の物資不足のころ、ラーメンの麺は洗濯ソーダと小麦粉で作るのが常識だったとあるのである。
うーむ……
そういえば「戦後しばらくは灰汁で洗濯していた」という話を聞いたことがある。やっぱり灰汁とカンスイは兄弟なのかも。
「嗅いだ感じはカンスイも無臭ねぇ」
「うん……よし、飲んでみよう」
小さなコップに移す。もう一度鼻を近づけて嗅いでみるが匂わない。
口に含んでみる……
ぎょぇ〜〜〜〜!
ペッペッと急いで吐き出した。
まずぅーーー!というか、なんか舌の先が痺れる! びりびりする! なんだこりゃ! こんなまずいものでつないでいたのか、ラーメンは!
しかも鼻を近づけているときはわからなかった生臭い匂いが喉から鼻腔にぷーんと上がってくる。これは……生セメントだ。灰汁と一緒だ! 味はひどく違うが(灰汁は無味)、匂いは一緒なのだった。
試しに小麦粉に混ぜてみる。
真っ白な小麦粉が、透明なカンスイを加えると一瞬にして黄色くなった。ラーメンの色だ。なるほどなぁ。ラーメンが黄色いのは卵が入っているからなどと思っていたが、基本的にはカンスイの作用によるのだな。ちなみに「首里そば」はカンスイ使用でもここまでは黄色くない。というか白い。カンスイの量が少ないのかもしれない。
それにしても、灰汁とカンスイが兄弟なら、なぜ沖縄では最初からカンスイを使わなかったのだろうか? なぜ灰汁なんていう面倒そうなものを使ったのだろうか……?
いろんな文献を漁ったがまるでわからない。友人の助けも借りて探しまくったがまるでわからない。
あきらめかけた頃、一冊の本にぶつかった。「進化する麺食文化」(安藤百福監修 奥村彪生著/フーディアム・コミュニケーション)という本である。この本によると……。
つまり、天然のカンスイが取れない地域では、灰を溶かした上澄み液を利用して麺を打っていたらしいのである。その代表は蓬灰。蘭州や新彊ウイグル自治区で使われていたらしい。
それは積々草という草の灰なんだけど、それさえ取れない土地では「堅木を燃した灰で灰汁を作りその上澄みを利用した」と書いてある。福建周辺らしい。いまの福建省だ。地図で見ると台湾の横。地理的に(貿易ルート的に)、沖縄から一番近い中国である。
で、「福建の影響を大きく受けて育った琉球食文化は、ガジュマルと呼ぶ木や砂糖キビの絞りカスを燃やして灰にして、その上澄み液を加えてすばを作った」と書いてあるのである。
そしてそして、「今は化学的に合成した炭酸カリウムと炭酸ナトリウムを主成分とするカンスイが多く使われています」と結んである。
ひっふーーー!
やっと、わかったのだ!
灰汁はもともとカンスイの代用品だったのだ!
そしてたぶん、薪から出た灰の二次利用でもあったのだ。薪を使わなくなってから、急速に灰汁からカンスイに変わっていったのだ。なるほどなるほどぉ。
「灰汁とカンスイ、どっちを使っても食感はそんなに違わないということ?」
「代用品だから少しは違うだろうけど、まぁ大きくは一緒だろう」
やっとここまでたどり着いたぞ。
昔ながらの打ち方は灰汁使用なんだけど、まぁカンスイを使っているからといって目くじら立てるほどのものでもないようだ。
……でも。
でもそうすると、この独特の食感はどこから来るのだ?
最初は灰汁がこの食感のポイントだと思っていた。だって沖縄そばを特徴づける最大のポイントだと思っていたから。
でもそれは違った。灰汁もカンスイもほぼ一緒なのだ。ということはカンスイを使用するラーメンの麺と素材的にはほぼ一緒だということだ。
小麦粉+カンスイ。
じゃぁなんでラーメンとここまで食感が違ってくるのだ?
「……わかんないけど、その、生麺かどうか、ということも大きくない?」
!!!!!!!!!
そうか。
そうかもしれない。
沖縄そばは(「てんtoてん」など一部を除いて)生麺ではないのである。
いままでそこにあまり注目しなかったが、ひょっとしたらそこがポイント、かもしれない……。
そんな考えを胃袋に、またボクたちは沖縄に出かけた。
今度は目的がはっきりしている。「生麺ではない」ということがどういう影響を麺に与えるのか、それを確かめたいのである。
そして。
ある店で、うかつにも見逃していたとっても大事なことに気がついたのであった。
次章、急転直下、「沖縄そばの食感の謎」がついに解き明かされるのである(たぶんね)。
いよいよ最終回! すばの細道(4)「沖縄そばの秘密」へつづく。
@satonao310