虫の知らせって本当にあるんだなぁ

2014年5月12日(月) 6:38:49

土曜の朝、いつものように朝5時すぎに起きたんだけど、その日に限って「今日はお見舞いに行こう」って思った。

12月くらいから2月くらいにかけて、多いときは週に3日くらいはお見舞いに行っていた「まーくさん」も、病状が悪化してここ2ヶ月くらい反応がほとんどなくなり、会うのがちょっとつらかった。だからここ一ヶ月くらいお見舞いに行ってなかった。なのになぜか「今日は行こう」と思った。

親しくしている娘さん(三女)にFBメッセージして、「今日、お見舞いに行きたいんだけど、病室に行ってる?」と訊いた。

まーくさん本人に反応がないので、できるだけご家族がいるときに伺うことにしているのである。

「夕方なら行ってますよ」との返事。

夕方かぁ。。。夕方だと打ち合わせがあるので行けないかもなぁ。。。でもなんとか行きたいなぁ。。。終わってから行けるかな。。。そんな感じに思ってた。

昼にランチミーティングをした。
まーくさんとひとつ、かれこれ2年くらいかけてプロジェクトをやっていて、その打ち合わせをメンバーとやった。実は夕方の打ち合わせもそれだった。2年かかってようやく最近目処が立ち始め、一気に進めているところだった。

ランチ終わりで iPhoneを確認したら、娘さんから連絡が入っていた。

「先ほど病院から連絡があり、いま向かっているところです」

いわゆる危篤であるらしい。
続けて「もう呼吸が落ちてきてしまっているので、いつその時が来てもという感じです。顔を見ることしかできませんが、来てくださっても大丈夫です」と。

あー、これだったのか、と思った。
虫の知らせって、これなのか。
朝からなんか焦燥感あったのは、呼ばれてたのか。

ボクは親族でもなんでもなく単なる友人なのでちょっとご迷惑かとも思ったが、お言葉に甘えてお伺いすることにした。病院に駆けつけたのは2時過ぎ。もう何十回も通った病室に急いで向かった。


まーくさんは松村光芳さんといって、世田谷区奥沢病院の院長である。
入院しているのも、その奥沢病院だ。

彼はボクの主治医である上に、ボクが中学時代に愛聴していた「かぜ耕士のたむたむたいむ」というラジオ深夜放送でのいわゆる「素人がオリジナル曲を投稿するコーナー」でのスターでもあった。

ハックルベリーフィンという素人グループを「じょーじさん」とふたりでやっていて(当時)、彼らの曲『流れ星』は番組内最大ヒットのひとつで、常にヘビーローテーションされていた。
13〜15歳の深い夜、ボクはふとんの中で未来に怯えながら何度も何度もその曲を口ずさんでいた。その曲を作った当人と後年(かぜ耕士さんを通じて)とてもとても親しくなり、自分の主治医にまでになるなんて、もちろん想像すらしてなかった。

そのまーくさんに、2年前の4月、脳腫瘍が突然見つかった。

あのころボクは(大震災後約一年というタイミングもあり)かなり精神的に痛んでおり、いろんな意味で大変お世話になっていた最中の出来事だった。

そういうこともあって、いま読み返すと照れくさい記事(さなメモ)もいろいろ書いている。
読み返すと、当時の自分のつらさをリアルに思い出す。
というか、まーくさんがいなかったら乗り越えられなかった「谷」がいくつもあった。命の恩人でもあると思う。


その後、手術は大成功し、余命半年でもおかしくない病気なのに普通に生活できそうなところまで回復もした。このまま治っちゃうんじゃないかって(まーくさん以外は)誰もが思った。だってライブ活動を再開できるほどに回復したんだもん。でもプロであるまーくさんは自分の病気を客観的に把握していて、常に冷静であった。

再発が発見されたのは昨年初冬。
腫瘍の部位のせいか少しずつ記憶や言葉が怪しくなり、今年の2月末くらいからベッドに寝たきりになり、ここ2ヶ月くらいほとんど反応がなくなった。聴覚は最後まで残ると聞いていたので、こちらの言うことは聞こえているのではないか、たぶん頭の中ではいろいろわかってるんじゃないかと想像するけど、とりあえず反応はない状態。

ただ、脳腫瘍なのでカラダ自体に痛みはない模様で、とても静かな闘病生活を続けていた。

そういう状況で土曜日を迎えたのである。


病室に着いたら、ご家族全員とご親族が集まっていた。
このご家族、医療関係者が多いこともあって、いつも冷静だし、病気を語るときも客観的でとっても明るい。その日も、さすがに涙ぐんではいらしたが、あくまでも明るくベッドの周りで談笑していた。

ボクは、まーくさんに「来たよ」ということだけ伝え、あとはご迷惑にならないように部屋の隅で控えていた。

途中、三女がマッサージしたり、美人看護婦さんたち(彼の部下である)がお見舞いに来たりすると、低かった血圧が急に上がったりして、「さすがパパw」とかみんなで笑い合ったりした。

明るく賑やかなのが好きなまーくさんもきっと喜んでたと思うなぁ。
そのくらい明るい雰囲気だったし、容体もなんだか落ち着いてきた(素人目に)。

あー、今日はこのまま持つかもなぁ、と思ったくらい。
それが17時前くらいのことだったかな。

ちょっと安心して、iPhoneからFBにくだらない投稿とかしたりしていたんだけど、そうこうするうちに連絡をうけた「じょーじさん」(上記ハックルベリーフィンの盟友)が現れた。

まーくさん、最後は彼を待っていたのかな、と思う。

じょーじさんが来るまで安定していた容体も、彼が来てから1時間も経たないうちに急変し、呼吸が止まった。待っていたとしか思えない。

「パパ、呼吸して」とご家族が呼びかける。
当日ボクが来てからも何度か急に呼吸が困難になったことがあり、「呼吸して」と呼びかけると呼吸が再開したりしたこともあったので、今回もそうなるかなとボクは楽観的に考えていた。

でも、そのまま止まってしまった。

ボクは素人だし、最期を看取るのも初めてなのでわからないのだけど、ヒトって呼吸が止まってからもずいぶん長い間、心臓って動いているのね。

ピ ピ ピ という機械の音が、数分かけて、少しずつ少しずつ、ゆっくりになっていった。

ボクは、なすすべもなく、ただ、部屋の隅で、彼を感じていた。


ボクは彼といくつか約束がある。
病室で、まだ普通に話せるころ、約束を交わした。
どれも亡くなってからゆっくり時間をかけて実現していくものだ。

彼はボクに「目標」を与えて去って行った。
だからボクは、彼がこっちにいなくても、なんとかやっていけると思う。

というか。
ボクたちは「虫の知らせ」という通信回路を手に入れたよね。
面倒かもしらんけど、これからもいろいろ知らせてください。


亡くなったのは、みんなが無理なく駆けつけられる土曜日、5月10日17時42分。
そんなところもまーくさんっぽい。

享年57歳だった。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター
(株)ツナグ代表。(株)4th代表。独立行政法人「国際交流基金」理事。復興庁政策参与。公益社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。東京大学大学院非常勤講師。上智大学非常勤講師。
朝日広告賞審査員。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。
現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。
本名での著書に「明日の広告」「明日のコミュニケーション」(ともにアスキー新書)。「明日のプランニング」(講談社現代新書)
“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。
花火師免許所持。
東京出身。東京在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園夙川芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao[a]satonao.com まで(←スパムメール防止のため、@を[a]にしてあります)。

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