阪神大震災があった1995年、個人的にもボランティア元年だった

2014年1月17日(金) 17:41:45

今日は1月17日。
1995年の阪神大震災から19年経った、ということである。

ボクはあのとき、阪神間(夙川)に住んでいて、うちの娘は妻のお腹の中にいた(臨月だった)。
明日にも生まれてもおかしくない、ってときに大地震が起こった。あれから19年。つまり、うちの娘も今年19歳になる。

今朝、フェイスブックにこんな投稿をした。

阪神大震災から19年。

震災当日のちょうどこの時間あたり(朝8時半あたり)、臨月の妻といっしょに夙川の家から山の上の義母の家の様子を見に行き、無事を喜びあってから、今度は甲東園に住んでいた義理の祖父母の様子を見に出かけたあたりだなぁ、とか、リアルにあの日を思い出す。

あの日のボクの「ドキュメント」はこちら。

「震度7の朝、妻は妊娠9ヶ月だった」
http://www.satonao.com/column/variety/shinsai.html


毎年、この記事か、あとは「地震が起こったらまずこれをしろ!」か「地震が起こる前にこれをしろ!」あたりをしつこくシェアするのだが、約1年ぶりに上記「震度7の朝、妻は妊娠9ヶ月だった」を読んで、29インチのテレビが8畳間を横切って飛んだあの感じを、いまの若い人たちはもう想像できないのではないか、と、ちょっと思った。だっていまは液晶テレビで、薄っぺらいからね。

m_KX-21HV1.jpg←あのころのテレビはこんな感じ。

ブラウン管で、奥行きがあって、ドでかく、分厚く、超重かったわけ(写真はソニーの銘器PROFEEL PROの21インチ。ボクのはビクターの29インチだった)

これが、部屋の隅から、反対側の隅までぶっ飛んだ。

想像できるだろうか、この揺れの大きさ。
液晶テレビがぶっ飛ぶのとはわけが違うのである。

そういう意味で、震度も被害も東日本大震災の方が大きかったけど、実際の「揺れによる被害」は直下型だった阪神大震災の方がずっと大きかったと思う。なにしろ高速道路も高架線路も崩れ落ちたし、家などの建物も壊れまくった。

東日本大震災は沖合が震源地だったので、揺れによる被害というよりは、多くは水害による被害だった。別に被害の大きさを比べてどうなるわけではないけれど、揺れ自体は阪神大震災はかなりのものだったのです。


ま、それはそれとして。

「震災とテレビモニター」については、もうひとつ思い出がある。

ボクは被災者ではあったが、家もつぶれず家族も無事だったので、東京に避難して妻が娘を授かってから、すぐ会社に復帰できた(神戸の家はそのまま放っておき、大阪にホテル住まいして大阪の会社に通った)。

そして、生まれて初めて「ボランティア」をした。

35インチだったかな、当時としては最大にでかいモニターをパナソニックさんから借り受け、トラックに乗せて被災地の避難所へ運び、子どもたちのために『ディズニー映画上映会』をやったのである(もちろんディズニーから正式に許可をいただいた)。

会社の仲間たち数人と企画して実行した。
あれはたぶん2月の初旬くらいのことだったと思う。

避難所となった小学校の教室を借り、娯楽が足りずストレスたまっていた子どもたちを集め、「白雪姫」とか「プーさん」とか「アラジン」とかをビデオ上映したのである。

子どもたちはみんなとても喜んでくれた(と思う)。

まだ「ボランティア」という概念が出回り始めてすぐのことで、「力仕事=ボランティア」というイメージも強く、こういう「エンターテイメントで子どもたちの心の支援をする」という考え方に抵抗がある方々も多かった。

だから「こんなときに何がディズニーだ!」という意見も多く聞かれたが、やって良かったかなとは思っている。

あのときディズニー映画を観た子どもたちも、当時小学3年生だと仮定すれば、もう28歳。

覚えてるかなぁ。。。元気だといいなぁ。。。


このボランティアの最中、ひとつ、血の気が引いたことがあった。

上映していた映画「アラジン」の中で、街が大火事になり、人々が火に追われる場面があるのである。

阪神大震災では長田区を中心に大火災が起こった。
そこで火に巻き込まれて家族を亡くしたり怖い思いをした子どもが、この避難所にいるかもしれない・・・!

画面からその場面が流れてきたときの、自分の中で「サーーーッ」と血が引く音、いまでもリアルに思い出す。

う、うわっ、こ、これっ!
うがyぱえ3じゃ@g09あ8うぇあわいp!

焦りまくってすぐビデオを止めたが、何人かの子どもは見ちゃったかもしれない。

子どもたちから「なんで止めるのー!」みたいな抗議の声が上がったが、とりあえず他のビデオを流してごまかしたっけ。

それもなんか今では懐かしい思い出だ。


あの年、いろいろなところで「ボランティア」の芽が出た。
いわゆるボランティア元年と言われた1995年。ボクもあの年が個人的にボランティア元年だった。

そんなことをふと思い出した。

あの年、ボクは、震災をきっかけにこのサイトを始め、「ホームページ元年」にもなったんだけど、だからサイトを始めて19年になるということなんだけど、それはまた別のお話。

佐藤尚之(さとなお)

佐藤尚之

佐藤尚之(さとなお)

コミュニケーション・ディレクター
(株)ツナグ代表。(株)4th代表。独立行政法人「国際交流基金」理事。復興庁政策参与。公益社団法人「助けあいジャパン」代表理事。
大阪芸術大学客員教授。東京大学大学院非常勤講師。上智大学非常勤講師。
朝日広告賞審査員。やってみなはれ佐治敬三賞審査員。
1961年東京生まれ。1985年(株)電通入社。コピーライター、CMプランナー、ウェブ・ディレクターを経て、コミュニケーション・デザイナーとしてキャンペーン全体を構築する仕事に従事。2011年に独立し(株)ツナグ設立。
現在は広告コミュニケーションの仕事の他に、「さとなおオープンラボ」や「さとなおリレー塾」「4th(コミュニティ)」などを主宰。講演は年100本ペース。
「スラムダンク一億冊感謝キャンペーン」でのJIAAグランプリなど受賞多数。
本名での著書に「明日の広告」「明日のコミュニケーション」(ともにアスキー新書)。「明日のプランニング」(講談社現代新書)
“さとなお”の名前で「うまひゃひゃさぬきうどん」(光文社文庫)、「沖縄やぎ地獄」(角川文庫)、「沖縄上手な旅ごはん」「極楽おいしい二泊三日」(文藝春秋)、「ジバラン」(日経BP社)などの著書がある。
花火師免許所持。
東京出身。東京在住。横浜(保土ケ谷)、苦楽園夙川芦屋などにも住む。
仕事・講演・執筆などのお問い合わせは、satonao[a]satonao.com まで(←スパムメール防止のため、@を[a]にしてあります)。

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