胸が痛い〜 志の輔らくご「牡丹灯籠」
2013年7月28日(日) 18:24:33
おっと、書き忘れていた。
噂には聞いていた志の輔の「牡丹灯籠」、先週の参議院選投票日当日の千秋楽にラッキーにも行くことができたのでした。
初代三遊亭圓朝が明治時代に15日(!)かけて語りおろしたという伝説の落語。
圓朝は自作の落語を速記にて記録し公開することを許し、それが人気を博したことで、近代日本語の特徴の一つである言文一致体を一代で完成させたと言われる。だから「近代の日本語の祖」とされてる。
そんな歴史的かつ長大な当時の速記を、志の輔がふとしたきっかけで本で読み始め(いまは文庫で出ている)、今、高座や歌舞伎や演劇でやっているストーリーとあまりに違う(というか、その数倍長い)ことに驚き、いっそ全部やってやろうじゃないの!と始めたのがこの「恒例 牡丹灯籠」。過去6年やっていて、今回は3年ぶりの開催ということだ。
とはいえ、圓朝が15日間かけて語った噺である。
一回2時間語ったとして、計30時間の噺である。
それを志の輔は3時間で全部語るという。さて、いったいどうやるの?
そこはガッテン志の輔。
登場人物もべらぼうに多く、しかも人間関係が超入り組んでいるこの噺を、「ためしてガッテン!」的にマグネット・ボードを前にして解説する、というところから舞台は始まる(ボードはなんと「ためしてガッテン」スタッフお手製とかw)。
登場人物をいちから取り上げていって、ボードにマグネットでその人物を貼り、相関図を作り上げていく。
徐々にそのストーリーに引き込まれていき、あれ?でもまだ半分くらいしか人物マグネットを使ってないよ、ってところで「さて、そのとき孝助は!」(孝助は主人公のひとり)、と、前半終了。
仲入り後の後半は、高座で、いわゆる一般的な「牡丹灯籠」が語られる。
前半の続きであるので、途中から前半に出て来た登場人物がいろいろ出て来て、「あー、なるほど、そうなってんだ!」と、どんどんガッテンがいく仕組み。
でもこれ、普通の落語や映画や舞台(「牡丹灯籠」は映画や舞台になっている怪談の名作)だけだと、志の輔の言うとおり「ハテナがいくつも残る」だろうなぁ。あの百両はどうしたの?とか、お国とおりえと孝助の関係は?とか、そもそもお露の来歴は?、とか。とかとか。
つまり、一般的に知られる「牡丹灯籠」は、長ーーーい物語のほんの一部を切り取っているというわけだ。
それでも成立するくらいは面白い噺なのだけど。
それらを解きほぐし、整理し、このシェークスピアの名作群と比べてもまったく引けを取らない「牡丹灯籠」という物語世界を観客の前に浮かび上がらせてくれるその手際の見事さよ。根っからの「教えたい体質」なんだろうとは思うけど、それにしても鮮やかだった。
圧巻はラスト。
憂歌団の名曲「胸が痛い」が流れる。
志の輔がいなくなった高座のバックに前半のボードが「相関図完成形」として上から降りてくる。
端役から主役級まで、すべての登場人物が様々な縁と性格で様々に生ききった様子が最後の最後で俯瞰して見えてきて、そこに木村充揮の枯れた歌声が大きくかぶさってくる。
胸がいたい
胸がいたい
せつなすぎて
うずくまる
思わず涙してしまった。
これはズルい・・・w
怪談でもあり、壮大な敵討ちでもあり、悪者語りでもあり、純愛の物語でもある「牡丹灯籠」。あー、まじでシェークスピア越えてるから!
こんなストーリーが日本にはたくさんたくさん語られたのだろうな。
でも、ほとんどが口伝で、消えて行ってしまった。よくぞ圓朝は速記で残すのを許可してくれたもんだ。
日本ってこんなにクリエイティブだったんだ、と、なんか自信と誇りまで持てる逸品落語。
また来年夏もやるみたいなので、なにがあっても行かれることをお薦めします。
