人はわかりあえっこないからこそ、たまたまわかりあえたときに強い「共感」が起こる
2012年3月23日(金) 10:16:14
一昨日の「ネットで『個』を発信できるのは、当たり前なことではなく、実にラッキーなこと」、昨日の「組織や肩書きに頼らず『自分』を晒して生きるということ」に多くの反応をありがとうございます。
さて、昨日の続き。
自分から「組織」という分厚く手厚い「鎧」を引っぺがしてみる。
そこに残る痩せた頼りないものが「自分」だ。
…なんて、ちょっと怖いことを書いたけど、でも、それをよくよく自覚して自分を発信していかないと、「個」と「個」のつながりでできているソーシャルメディア上で、人の「共感」を得ることは難しい。組織のポジショントークほど共感されないものはない。
では、どうやってその「痩せた頼りない自分」「誰の共感も呼びそうもない自分」が、「共感」を獲得していくのか、というのが今日の話。
というか、そもそも「共感」っていったい何なのだろう?
共感が起こる大前提は「他人と自分は違う」という当たり前の事実。
そう、あなたが発信して伝えたい相手は「他人」である。
当たり前っちゃー当たり前なんだけど、ここ、意外と日本人は不得意分野。小さな島国に住む単一に近い民族で、まだ移民も少なく、同胞意識も強い日本人は、どこかこれを甘く考えている節がある。
日本人が好きな格言に「自分がやられて嫌なことをヒトにするな」みたいなのがある。もっともらしく聞こえるけど、これは「自分が嫌なことと他人が嫌なことは同じである」を前提とした甘えだ。
自分と他人は違う。徹底的に違う。顔も、身体も、健康状態も、育った環境も、家族構成も、受けてきた教育も、見てきたテレビも、好きな本も、好きな音楽も、好きな映画も、好きな食べ物も、好きな人も、仕事経験も、独身か既婚か子持ちか介護持ちかなども、ぜ〜〜んぶ違う。だから自分の嫌なことと他人の嫌なことが同じはずがない。
同じはずがないのだ。自分と他人は「違うところばっかり」だ。
その他人、つまり、「もともとすべてにおいて違う相手」に発信して伝えるのだから、「わかりあえない」「共感なんか起こらない」ということが前提となる。
そう、わかりあえっこない。共感なんか起こりっこない。
でも、だからこそ、わかりあえっこないからこそ、たまたまわかりあえたときに強い「共感」が起こる。
これが共感の仕組みだとボクは思う。
そしてヒトは「共感」の快感を求めて、他人の中に「自分と同じところ」を探そうとする。すべてにおいて違うその人の中に「同じところ」を探して「あー、いっしょだ」と確認して安心しようとする。
なぜなら「人と違うことは寂しいから」。
寂しいから、自分と同じところを探して「共感」したがる。あー、そうだよねー。わかるわかる。自分もそう思う!!って。
よく小説とかで「この小説はたったひとりの人に向かって書きました」みたいのがある。
あなたとまったく違う人生を歩んだ他人である作家が、誰か知らない人に向かって書いた小説。もともとそんなものがあなたの「共感」を呼ぶわけがない。でも、たったひとりに向かって書いた、あなたが経験もしたことないストーリーが、あなたの「共感」を強く呼ぶことがある。それは何でだろう。
それは、あなたが、このまったく違うストーリーの中に「自分と同じところ」「自分の人生と似てるところ」「わかりあえる考え・体験」を探しながら読んでいくからだ。
だから全く違う人生が書かれていても強い「共感」を感じることがある。
いや、違うところが多ければ多いほど、ヒトは躍起になって「同じところ・似たところ」を探しに行く。そしてわざわざ探し出して強い「共感」を得る。
小説に限らず、ほとんどの芸術がそういう風に出来ていると思う。
わざと「共感」をされないように、徹底的に「わかりあえそうなところ」を排除した芸術も存在する。そういうものを前にしたとき、ボクたちは途方に暮れる。同じところが見つからなくて拒否・排除された気分になる。その芸術はそこを狙っている。
って、話がちょいズレたが、要するに「共感」は相手が探しだしてくれるものだということ。
あなたが、自分のオリジナリティを出せば出すほど、他人との違いを明確に出せば出すほど、相手はそこに「自分と同じところ・似たところ」を探しだそうとしてくれる。
要するに、自分のオリジナリティ(素の自分)を出せば出すほど強い共感を得られやすい、ということだ。
自分だけの個人的な体験だったり、自分だけが考えていることだったりをボソッと発信してみる。人はそこにわざわざ自分と重ね合わせて「共感」を探しにきてくれる。
逆に「一般論」はとても共感が起こりにくい。
一般論というのは「多くの人に理解しやすい普通の論」だ。そんなことを発信したとしても、それを読んだ人は「あーなるほど」と思うだけで、わざわざ「その論の中に自分と同じところを探しに行く」なんて面倒なことはしない。自分と似たところが多い受け入れやすい説だからである。だからそこに強い「共感」は起こらない。みんなさっと通り過ぎるだろう。
つまり、肩書きや役職のポジショントークで「一般論」を言うことが、世の中で一番「共感」されにくいことになるわけですねw
素の自分を出すこと。
ありのままの自分をさらけ出してみること。
痩せた頼りないものだとしても、誰の共感も呼びそうもない自分だとしても、ちょっと勇気を出して「自分自身」を出してみる。そうすると必ず誰かが「自分と同じところ」を探し出しに来てくれて、共感してくれる。
と、あなたと何もかもが違う他人であるボクは思う。
あー、もう仕事しに行かなくては。
最後に、では、こんな「個」の時代、企業という組織はどう発信していけばいいのか、を、次回にちょっとだけ書いてみたい。
